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産学官民交流事業

2024.04.23 第474回東三河産学官交流サロン

 

 

1.日 時

2024年4月23日(火) 18時00分~20時30分

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 5F ザ・グレイス

3.講師①

豊橋技術科学大学 建築・都市システム学系 教授 齊藤 大樹 氏

  テーマ

『能登半島地震から学ぶ建物の耐震性』

  講師②

イオンモール豊川 ゼネラルマネージャー 園谷 益男 氏

  テーマ

『イオンモールは「商業専業ディベロッパー」から「地域共創業」へ』

4.参加者

87名(オンライン4名含む)

講演要旨① 
 最初に能登半島地震の発生メカニズム、教科書的な内容になるが、ここからスタートしたいと思う。皆さん大陸移動説を聞いたことがあるだろうか。これはドイツのアルフレート・ウェーゲナーが1915年に提唱した仮説である。かつて、大きな大陸がひとつあり、それが分かれて現在の7大陸になったという説である。当時はこの説を誰も信じていなかった。どうして信じてもらえなかったかというと、重い大陸が動くわけがないと一般に思われており、それを説明することを彼はできなかったからである。そして無念のうちに亡くなったのであるが、現在彼の説は正しく2億年くらい前には大きな大陸、ラテン語でひとつの大陸という「パンガエア」が分かれていって今の形となり、まだ動いていて2億年後はまたひとつにまとまる。そのまとまった大陸の名称も科学者は決めていて、アメリカとアジアがひとつになるから「アメージア」という大陸ができあがるとのことである。こうした動きを地球は繰り返している。
 どうして大陸が動くかというと、地球の中心核は6,000度と非常に高温である。これは太陽の表面温度と同じであり、我々は上を見ると6,000度の太陽があって、下を見ると6,000度の地球の核がある。この高温の中で、マントルが温められて上がっていき、地球の表面で冷やされてまた沈んでいく。この温められて軽くなり、冷やされて重たくなって動くことを対流現象と言う。この対流に合わせて大陸が乗っかっているプレート、地球を覆っているみかんの皮のようなものが一緒に動いている。実際その断面を見てみると、海のプレートがマントル対流で年間5センチから10センチ程度動く。陸側のプレートとぶつかると、海のプレートは重い玄武岩なので下に沈んでいき、下の方では高温で溶けてなくなる。そうすると、反対側から新しいプレートが生まれてくるが、これを海嶺と言う。日本は、ちょうど陸のプレートとの境界にあって、沈み込む谷の部分が日本海溝、南の方には南海トラフがある。地球全体で見ると、南半球でプレートが生まれてきて、これが進んで大陸のプレートとぶつかり地球の奥に沈んでいくという動きが常に起きている。日本近海にはこの沈み込む場所が集中しており、これが地震の多い理由である。東からの太平洋プレートが日本海溝に沈んでいき、南からのフィリピン海プレートが沈んでいく谷の部分が南海トラフである。日本列島は、2方向から押されることによってくの字に曲がっている。曲がった真ん中のあたりは大きな谷になりラテン語で「フォッサマグナ」と言うが、ここに岩石の割れ目がたくさんできている。こういうところで地震が起きるとなかなか収まらない群発地震になる。
 最近の日本は地震が多い。また台湾であった地震も、フィリピン海プレートの境界部分で起きている。陸側のプレートの境界で、陸側のプレートが耐えられなくなって壊れて跳ね返すような動きが生じるのがプレート境界の地震であり、代表的なものは東日本大震災を起こした東北地方太平洋沖地震である。発生時跳ね返したところに海水があるため大津波が発生する。地震が起きるのはプレート境界だけではなくグイグイ押されているために、陸側のプレートの表面がビリッと壊れることがあり、これが直下型地震である。陸域の浅い地震として代表的なのは、阪神淡路大震災を起こした兵庫県南部地震であり、今回の能登半島地震もこのタイプの地震である。
 先日、四国で起きた地震はプレートの中で発生した少し深めの地震である。陸側の直下型地震の回数はそれほど多くなく、地震の発生分布を見てみると、日本海溝に沿ったプレート境界や南海トラフで起きているものが多い。能登半島のあたりは頻度的にはあまり地震が起きる場所ではなかったが、1月1日にマグニチュード7.6の地震が発生、日本列島の広い範囲で揺れを観測した。去年の5月5日にも能登半島の先でマグニチュード6.5の地震が発生した。マグニチュードは破壊された断層の大きさに関係しており、今回のマグニチュードは7.6で幅150キロの広い範囲で断層が崩れて地震が起きた。エネルギー的にはマグニチュードが1変わると差が30倍となるため、実は昨年5月の地震と大きさがかなり異なっている。能登半島は不幸にも昨年は子どもの日、今年は元旦に大きな地震が発生しており、地震は時と場所を選んでくれない。
 今回の地震で注目された現象は陸化現象である。日本列島は東から太平洋プレートに西側へ押されており、耐えられなくなって北海道で地震が起きて跳ね返した。その後も押されて歪みがたまりいずれはね返すのであるが、小さい地震が起きても全然跳ね返す力にならない。地震で跳ね返すと地面が動くが、関東大震災の時には2メートル程度隆起して横には3メートルぐらい動いたという記録がある。阪神淡路大震災はそんなに大きくなく、30センチ程度隆起して1メートルぐらい動いた。東日本大震災は1.2メートル沈下して5メートルぐらい東に動いた。今回驚いたのは、能登半島の水平移動は3メートル程度であったが、縦方向に4メートル持ち上がり、その値は最近の地震の中で最大値と考えられる。鹿磯漁港という能登半島の港は地震の直後に4メートル近く隆起しており、よくニュースに写真が出てくる。衛星写真で隆起する前後を比較してみると、能登半島の日本海側の3地点が地震の後に持ち上がっており、海だった場所が陸地になって広がっている。これが実は津波被害にも関係していて、陸地が盛り上がった場所に輪島市があり、もちろん津波が来ているのであるが津波被害はなかった。3・4メートル隆起しているため2メートルくらいの津波が襲ってきたが、隆起した壁で止められたのである。一方、能登半島の反対側の珠洲市は隆起しておらず、そこに2メートル以上の津波が襲ったため津波被害が発生している。
 次に建物被害について見てみたいと思う。能登半島で大きく被害を受けたのが珠洲市であり、人口12,000人のうち103名の方が亡くなっている。次に被害が大きかったのが輪島市で、人口23,000人のうち102名の方が亡くなっている。他に穴水町で20名、能登町で8名、七尾市で5名が亡くなった。私が被害状況をまとめていて、疑問に感じたのは珠洲市が人口12,000人に対して、壊れた建物が13,000棟であり、建物の方が人口より多いのはどうしてかと思った。そこで人口の変化を調べてみると、珠洲市は西暦2000年には人口は2万人を超えていた。これが毎年減って今現在は1万2,000人であり、20年間で4割減っている。また、65歳以上の高齢者の数は変わっていない。現在人口の半数は65歳以上という状況で、若い人が町から出ていって過疎化・高齢化が進んでいる。こうした地域に巨大地震が襲った。高齢化率を見てみると、珠洲市が52.8%、能登町52%、穴水町50.3%、輪島市47.9%、七尾市40%ということで、50%を超えている地域が多い。
 建物被害を見てみる。倒壊している建物の多くが瓦屋根の木造住宅であり古い。高齢者が住んでいると家を建て直したり補強したりということをしない傾向がある。ビルなどの鉄筋コンクリートの建物に関して全般的に被害は少なかった。ただし、地盤が傾いたり斜面崩壊等により建物が傾くような被害が多くみられた。輪島市の鉄筋コンクリート造7階建てビルの倒壊の映像は、よくニュースで流れていたが、私も高層ビルなどを研究しているため驚いた。グーグルストリートビューで、倒れる前の画像を確認してみると隣に3階建ての木造レストランが建っているが、その建物を押しつぶす形で倒れている。倒れた原因は現在もはっきりはしていないが、よく見ると建物全体が3.5メートルほど根元の方に沈んでいる。建物の立っている地盤は軟弱で杭の基礎があり、おそらく杭の基礎が破断して沈下したのではないかという分析が国の方でされている。
 こうしたことが東三河でも起きないとは限らないため、少し心配している。火災も起きた。地震で建物が倒壊し、電気配線がショートして火災が発生したのではないかという可能性が指摘されている。古い木造建物が密集していると一気に火災が拡大する。倒壊した建物が道を塞ぎ消防車が入れず、断水になって消火栓も使えないといった悪条件が重なって火災被害が拡大した。これも人ごとだと思ってはいけない。
 液状化も発生した。液状化が発生したのは能登半島の根元から、街がたくさんある海岸沿いの地域で新潟市も含まれており、事前に予測されていた。石川県内の液状化マップを見ると内灘町には、砂丘の内側に河北潟という海だったところがせき止められてできた場所がある。砂丘は液状化していないが、それは盛り上がっているため地下水の位置がだいぶ下であったからである。今回は砂丘と粘土層に囲まれた真ん中の細長い部分が液状化した。砂丘側から右側に傾くようにして液状化した地面が流れており、側方流道と言って、道路片側の電柱が同じ方向に大きく傾くといった特徴が見られた。液状化マップは豊橋市にもあり、三河湾の工業団地のあたりは、液状化の危険があると思う。
 ここから私の専門とする免震構造の話をする。免震構造は皆さんご存知だと思うが、普通の建物は地面と完全に固定されており、地震が来ると建物は大きく揺れる。免震構造の建物は建物と地面の間にゴムの台があるため、地面側が激しく動いてもそれが吸収して、建物に揺れが伝わりにくい。そのため建物の中の家具も倒れないし、被害も起きないという構造になっている。私が所属している日本免震構造協会が調査を行ったが、石川県全体で38棟ある免震構造の建物は、奥能登にはなかった。七尾市の恵寿総合病院が免震建物になっていて、その周辺にもいくつか免震建物があったが、全ての免震建物が無傷であり、免震効果が確認された。恵寿総合病院は本館が免震構造で、他の2棟は普通の耐震構造であった。能登半島地震の時に免震構造の本館は無傷であったが、他の2棟が被害を受けたため患者を全部本館に搬送し、周辺の病院も普通の耐震構造で被害を受けたために、その患者も引き受けたということであった。
 今回の地震を受けて、東三河はどうなのかを考えてみた。高齢化率を調べると、設楽町51.2%、豊根村52.4%、東栄町は51.0%と能登半島の状況に非常に近く、山間地は高齢者の多い地域になっている。豊橋市も高齢化率が26.2%であり、次第に高齢化が進んでいる。山間地では土砂災害が起きて道が塞がれ、孤立集落となる恐れがあるとともに、住民は高齢で住宅も老朽化しており、費用をかけてまで耐震補強するという意識も薄く、耐震改修が進んでいない。三河湾側は湾で守られていて、津波の高さは1,2メートルぐらいと言われているが、場所によっては液状化の危険性がある。太平洋側では15メートルから20メートルの津波が南海トラフ地震の時に来る可能性があるが、半島はアクセスが限定されるため、能登半島と同様に渥美半島でも孤立して救助に行けないということも起こるかもしれない。
 木造住宅の耐震化については日本中の自治体が支援制度を持っている。診断は基本無料で工事費も最近は補助率が上がり8割となっている。それでも補強してくれないため、簡便な方法として寝ている場所について耐震シェルターや鉄骨のベッドなどを導入する場合30万円くらいの補助がある。また、古い木造住宅を改修せずに取り壊す選択として、除却費用を一部補助する制度もある。県や自治体の方とよく話をするが支援制度だけを用意してもダメで、住人にアプローチして説得しないと耐震化が進まないといった苦労があるようである。
 私が個人的に心配しているのは、民間ビルの耐震化である。こちらは支援制度が整っていない。支援制度があるのは多数の方が利用する建物で特定建築物と呼ばれる規模の大きな事務所ビルやデパートなどで、義務化の法律があるからである。また耐震診断義務付け建築物として、例えば緊急輸送道路の沿道の建築物は倒壊した時に道を塞ぐ可能性があるため、耐震診断を義務付けるような法律ができている。それ以外は支援策がなく、耐震改修には莫大な費用がかかり、テナントが入っていて工事をすると営業を止めなければいけないこともあって難しいといった悩みもある。もう少し国や自治体の支援制度を民間のビルにも拡大しないといけないと思う。豊橋駅前にも水上ビルなど古くて良い雰囲気の建物があるが、いざ地震が起きると心配である。
 耐震補強の例であるが、豊橋技術科学大学は補強工事を完了している。三角形を組み合わせたようなブレースが基本的な耐震補強で、豊橋中央郵便局も同様に外壁に三角形を組み合わせたブレースを組み補強されている。こうした補強をやってくださいと言うと必ずかっこ悪いといった反応が返ってくる。折角なので、魅力的な耐震改修をした方が良い。豊橋商工会議所は耐震補強を完了しているが、表面が細くてデザイン的に邪魔にならない補強材が設置されている。浜松にあるサーラプラザは、建築家の黒川紀章氏が設計した建物であり、古いが壊せないため耐震補強をしようとした。最初の案は、典型的な見栄えの良くない補強であったが、建築家が参加して三角形のつなぎ方を変えたデザインで補強をし、新築とも思えるくらいの素敵な外観になっている。これまでの耐震改修は、安全をできるだけ安く手に入れたいとの考えがあり、見栄えが悪くても命が大事だから仕方がないという発想であった。このマイナス思考をあらため、建物に強さと美しさを付け加え、それによって周辺の建物や街も再生するというようなプラス思考の耐震改修を進めていただきたいと思う。

講演要旨② 
 本日の話は、①会社紹介、②オープン1年の振り返り、③「商業専業ディベロッパー」から「地域共創業」へ、④苦労話、支持される施設、⑤まとめの5点について話を進めさせていただく。
 最初にイオン株式会社の会社概要とイオンモール株式会社の位置付けについて説明する。イオン株式会社は、グループ企業が300社あり従業員数で57万人となっている。本社は千葉県千葉市にあり、当社はその中のディベロッパー事業に携わっており、モールの開発から運営までを行っている。当社は1911年の岐阜繭糸株式会社の誕生が始まりであり、大型商業施設運営は1989年の「イオンモールつがる柏」が初めてであった。単体の従業員数が5400名というのが当社規模である。
 続いて、イオンモールはショッピングモールの立地調査から企画・開発・建設・リーシング、私は運営管理に携わっているが、これを一貫して行う商業ディベロッパーである。イオンモールは、街づくりの役割に携わるディベロッパーとして、日本国内だけではなく中国、ASEAN各国において201店舗を展開している。運営管理について、私はゼネラルマネージャーという役職でモール全体の采配をしており、私の下には営業チームと施設管理のオペレーションチームがある。当イオンモール豊川には約20名の社員がおり、業務委託するパートナー企業とモールを運営している。よく質問で立地調査からオープンまでどのくらいかかるのかを聞かれるが、大体平均10年くらいである。イオンモール豊川については2016年から準備し、7年でオープンした。この土地は皆さんご承知のとおりスズキ自動車の工場跡地であり、国内のイオンモールでは144番目の施設としてオープンし、1年が経過したところである。賃貸面積は63,000㎡であり、近隣で言えばイオンモール浜松志都呂やイオンモール浜松市野とほぼ同サイズであり、国内では38番目の大きさである。よく質問で、「国内で一番大きいイオンモールはどこですか? 」と聞かれることがあるが、埼玉県越谷市の「イオンレイクタウン」が豊川の3倍ぐらいの売場面積の183,000㎡であり、店舗数は約700店舗もある。先週私は歩いてきたが、全て廻ろうと思うと2万歩も歩くといった規模感である。
 続いて、開業から1年の振り返りについて説明する。これまで当社の事業は2核1モールと言って、片側にスーパー、反対側にシネマやアミューズメントなどがあり、その間に有力な専門店を誘致して収益を得るビジネス構造であった。しかし、コロナのパンデミックを経て、お客様の日常生活における価値観やライフスタイルが大きく変化した中で、商業施設に単に購買体験を求めるのではなく、わざわざ行くきっかけや体験価値が求められるようになってきた。つまり、買い物以外の付加価値が必要になってきている。イオンモールが考えた付加価値は、「居心地の良い空間」、「時間を過ごす場」、「子育てをされている同じ立場の方が出会える場」、「地域の防災機能を持つ施設」、「環境に配慮された施設」など多様化させることであった。
 こうした社会変化に対して、イオンモールの次世代のモールのあり方として、イオンモール豊川は国内のイオンモールでは初めて外部空間である憩いの場を明確な差別化ポイントとして訴求し、来館の動機をより多く生み出す居心地の良さを新たな価値とするモールのあり方として策定しスタートした。特徴として重視した点は、大きく4つの側面がある。1つ目は屋外のパークとして、1階の「GRAND PARK」、2階の「CENTRALPARK」がある。「GRAND PARK」は、障がいをお持ちの方そうでない方でも使えるインクルーシブ遊具の導入を他の商業施設に先駆けて取り組んでいる。「CENTRAL PARK」は、目的がなくても立ち寄れるような場所を目指した。2つ目は大型エンターテインメント、地元書店、インテリア・家電とワンストップで全てが揃う専門店を取り揃えているが、これからもお客様のニーズを丁寧に聞き入れ進めていきたいと考えている。3つ目は地域のプラットフォーム化ということで、立地する豊川市政施行80周年記念事業に合わせた各種連携を行った。また、昨年6月の豪雨災害時には、被災者の受け入れを行うとともに、施設機能が川の氾濫を低減させる役割に貢献した。加えて産学連携として、豊橋市の2つの大学と協定を結んで大学の特色に合わせた取組を実施している。4つ目は建物が環境に配慮した施設としてESGにおける先進的な取組である。メガソーラーパネルや食品生ごみで「バイオガス」発電導入の他、一次消費エネルギー消費量を50%以上削減する建築物で「Zeb Ready」を大型商業施設として国内初の認証取得をしている。
 ここで少し掘り下げて「CENTRAL PARK」の1年の使い方について話をする。先ほど説明したように、この場所は目的がなくても立ち寄れるスペースである。国内のイオンモールは年間で約10億人のお客様に来館いただいており、イオンモール豊川においても、東三河だけでなく、静岡や西三河からも来ていただいている。独自性のある企画や様々なイベントでアピールする機会があり、地元である東三河の良さを発信、交流人口の拡大、関係人口の形成に役立つ可能性を感じている。この1年に取り組んだ事例として、9月に「奥三河マルシェ」という奥三河地域の魅力の発信をし、「設楽茶油」などの特産品の販売や和太鼓「志多ら」の演奏などを行った。奥三河は人口減少および高齢化が著しい地域であるが、担い手不足という課題について、来館した若い世代との関係人口を増やすことができたという評価もいただいた。他にも豊川市政施行80周年の記念として、「愛は地球を救う」というキャッチコピーの「24時間テレビ」の募金会場として提供した。また先日は、第96回選抜高等野球大会のパブリックビューイング会場としてもご利用いただいた。イオンモール豊川内の別会場も併せて、「東三河大文化祭」というイベントを6月に実施し、東三河の文化伝統を広く認知・発信することを目的として、各地の伝統の披露や工芸体験のワークショップを開催した。このような形で「CENTRAL PARK」を活用してきた。
 産学連携については、2つの大学と連携を進めており、地域社会のプラットフォームとなるように地元の大学にアプローチをしている。豊橋創造大学は卒業生の約8割が東三河で就職をするため、それに向けた取組が多岐にわたるということであり、7月と12月には会場をイオンモール豊川として学生が大学の授業で学んだ学修成果の発表を行い、多くの来店者に関心を持っていただくことができた。愛知大学とも定期的に話をし、豊橋校は地域政策学部、文学部、短大などがあり、地元出身の学生も多いとのことであったため何か取組ができないかを考えた。7月には「CENTRAL PARK」において「SOUNDS CARNIVAL」として、モダンジャズの研究会の演奏、豊橋技術科学大学のジャズ研究会との合同バンド演奏も行われ、多くの方に素敵な演奏を披露していただく機会を提供できた。また、今年の2月には「とよかわブランドフェス」を行い、半年間かけて学生と議論して新商品を実際に開発して販売しようという企画を実行した。今後も大学の特徴を活かしながら産学連携を通じた取組や魅力発信をしていきたいと考えている。
 昨年の6月2日に発生した豪雨災害では、住宅の浸水や車両水没などが多く発生し、イオンモール豊川においては施設の浸水はなかったが、周辺の道路や一部の駐車場で冠水があり、帰宅できない方を屋上駐車場に受け入れる判断を早々に行った。開業前の準備段階から私が入っており、屋上に車両を停めた際のトイレまでの導線や区画形成について、シャッターを閉めても誘導できるように設計の方に依頼していたことが活かされ、当日は74台の車両が避難をして24組が車中泊をされた。先程話をした川の氾濫を低減させる役割については、建物の仕組みとして雨が大量に降った時に駐車場の地下に雨水貯水槽があり、ここで水を一時的に溜めてから川に排出するという機能が役に立ったと思っている。イオンモールは地域の防災拠点という役割も持っていて、全国の137モールで防災協定を自治体と締結している。国内外の施設運営のノウハウを活かしながら、今後も地域の防災拠点としてお客様に選ばれるモールを目指していきたいと考えている。
 建物施設の環境設備については、SDGsツアーということで各企業、学校、行政の方にも見ていただく機会を設けている。また春先は、エアコンを一切入れずに自然換気で建物内を冷やして使用エネルギーの削減を図っており、地下水や地中熱も活用している。またメガソーラーカーポートを駐車場内に設けているが、今年以降全国のイオンモールに拡大する予定である。イオンモール豊川の場合、年間発電量として夏場は1,000kWで、一般家庭で350世帯分の消費量に相当する再生可能エネルギーを生み出している。飲食店から発生する生ゴミについても、回収してバイオガス発電ということでエネルギーとして活用している。また、AIカメラによって館内の空調換気の制御を自動化して設備担当者がタブレットを使ってリアルタイムで確認しながら、館内空調を随時コントロールしている。非常時には、ガス発電機によって電気を供給するというように、停電の際も電気が使用可能な仕組みも導入している。詳しく知りたい方は、先程話をしたSDGsツアーにご参加いただきたい。
 次に、「脱炭素都市づくり大賞」として環境大臣賞を授与された。これは脱炭素型都市づくりの促進をする目的として創設された表彰制度で、延床面積100,000㎡以上で初めての「ZEB Ready」認証を受けたこと、高い省エネ機能、バイオガス発生設備で廃棄物有効活用、自宅の再生エネルギーで充電したEVが建物内へ放電を可能とするV2B設備も導入していることなどが行動変容に大きく寄与していると評価され、賞を授与された。
 次に「地域共創業」についての話をする。イオンモールは、テナントに床を貸し出す不動産というビジネスの側面があるが、それだけではなく、地域に大きく影響を及ぼす施設である。当社では、「我々は不動産業ではなく、資産を活用するサービス業である」と言われている。こうした意識改革も含め、事業を再定義することで2030年までに「地域共創業」になるとしている。社内での言葉で言うと「地域共創業」の共創は、地域課題を因数分解し、共感できる人たちとともに新しい価値を創造して、その課題をひとつずつ解決するために行動することを指している。事業を展開する地域において同じ課題意識とそれを解決したいという志を持った企業・団体・自治体・教育機関・そして個人の方とともに最適解を共創することを目指すのが「地域共創業」であると理解いただきたい。2030年までにこれを実現するため、事業環境の変化を捉えたサステナブルな企業として、地域とともに成長していく具体的な施策を2つ出している。
 1つ目が、「国内外におけるリージョナルシフトの推進」2つ目が「ヘルス&ウエルネスのプラットフォームの創造」である。「リージョナルシフトの推進」は、全国一律のイオンモールではなく、地域の生活圏に着目し徹底したマーケット分析・調査を行うことで、各地域が抱える課題やニーズに対し、地域のステークホルダーの方々との共創を通じた事業展開を進めていく。次に「ヘルス&ウエルネスプラットフォームの創造」は、事業の活動を通じてお客さまの体や精神の健康のみならず、地域社会の健康、健康をサポートする地域のヘルス&ウエルネスプラットフォームを創造する。その実現に向け、快適な施設空間、関連テナントによる提供価値を深めていくことで、地域におけるWell-beingなくらしづくりをサポートする。
 イオンモール豊川も「地域共創業」を同様に目指しており、開業前から様々な仕掛けを打ち出している。東三河の自然、歴史、伝統文化や健幸まちづくり東三河といった特徴を活かすことができるように、イオンモール豊川がプラットフォームとなる取組を進め、「地域共創業」を推進していく考えである。そのために日頃から東三河8市町村の令和6年度の施策、各市町村の総合計画を見ながら何か接点がないかを探っており、東三河を発展させていくために、ぜひ役に立ちたいと考えている。
 話は変わるが開業までに苦労したことについて少し触れる。2021年の8月から開発に着手し、建物の着工は12月であった。着工から14ヶ月で大体の建物ができあがり、開業まで含めれば15ヶ月半程あったが、建物ができて開店準備のスケジュールを決めることに苦労した。当社の関係者や行政の方の予定を確認しながら、内覧会・植樹祭・竣工式・セレモニーなど全て我々の責任でスケジュールを決め固めていくことが最も大変であった。
 次に今SC業界で支持される商業施設はどういうものかを紹介する。業界では、オーバーストア・高齢化・人口減・人手不足などの課題が顕著化しており、SCは買い物だけではなく過ごす場としての機能が求められていて、快適さを追求した施設環境の整備が進んでいる。こうした状況下における当社モールの特徴的な取組を紹介すると、例えば、東京南町田の「南町田グランベリーパーク」では、トイレの美装化を進めて特徴的なデザインの居心地の良い空間を追求している。「イオンモール幕張新都心」では、子どもの遊び場共用スペース、レストスペースの拡大として、広い子どもの遊び場を新たに設けている。「西宮ガーデンズ」や「玉川高島屋SC」では屋上の改装を行い居心地の良い緑豊かな空間とするなど、直接売上に反映しない共用部に対する投資を進めており、来店動機につながる大切な要素になっている。「新静岡セノバ」では、営業時間の短縮ということで出店者のテナントに任意に営業日を決めてもらう仕組みを進めているが、これによる売上への影響はないようである。「イオンモールNagoya Noritake Garden」では、従業員満足を高める職場環境を向上する取組として従業員休憩室の設計を出店テナントに依頼した事例がある。埼玉の「コクーンシティ」にはラウンジのようなものがあり、こうした総合力が優れた施設が、支持される施設として評価されていると紹介した。
 最後にまとめとして繰り返しになるが、イオンモール豊川は東三河におけるイオンモールとして「商業ディベロッパー」から「地域協創業」を目指していく。東三河地域が発展していくために、イオンモール豊川がプラットフォームになって様々な取組を進めていきたいと思っている。
 2024年度のイオンモール豊川のコンセプトは、「はじめてを、はじめようをいっしょに。」である。これから出会う皆様と初めての出会いが連続し、また期待感を提供するイオンモール豊川でありたいと思っている。そして東三河の地域がさらに豊かに開花していくために一緒に行動していただければと思う。