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産学官民交流事業

2024.06.25 第476回東三河産学官交流サロン

1.日 時

2024年6月25日(火) 18時00分~20時30分

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 5F ザ・グレイス

3.講師①

豊橋技術科学大学 建築・都市システム学系 助教 崔 明姫 氏

  テーマ

『豊橋新城スマートチェンジ(仮称)の開設に伴う観光展開の可能性について』

  講師②

株式会社ミダックホールディングス 代表取締役社長 加藤 恵子氏

  テーマ

『女性税理士が産廃会社を東証一部に上場させるまで』

4.参加者

80名(オンライン参加6名含む)

講演要旨① 
 昨年豊橋市の補助金をいただき、豊橋新城スマートインターチェンジが開設した場合の観光展開の可能性について調査研究を実施したため、本日はその結果について報告する。
 本題に入る前に私のこれまでの研究について紹介する。今まで観光業における宿泊施設・飲食店・観光関連施設などを対象に調査を実施し、自然災害やコロナによる観光業への経済的影響や観光支援策の効果などについて調査してきた。その結果2点話をすると、最初に自然災害の被災地では、旅行割引支援の政策効果が限定的 であること。次にコロナの影響は、観光への依存度や観光需要の違いにより、経済的影響と政策効果が異なる特徴を持つ結果であった。自然災害の被災地に対して、熊本地震や今年の能登半島地震でも災害が発生してから約3ヶ月後に、旅行割引支援制度として「九州ふっこう割」や「北陸応援割」などの支援制度が実施された。こうした支援制度は周辺地域には非常に効果的であるが、実際に被害を受けた地域にはあまり効果がない。大災害が発生してから3ヶ月後の被災地では、まだ観光客を受け入れる状態になっておらず、観光地へのアクセスルートも復旧されていない。このような状況で割引制度が導入されても、観光客は被災地を訪れることは困難である。被災地では、復旧を優先することが重要であると思う。
 これまでは観光関連施設など観光地側、つまり供給側について調査を実施してきた。観光業の全体把握を目的として、需要側の調査を最近始めている。その一環として、豊橋新城スマートインターチェンジの開設に伴う豊橋市北部地域の観光展開について調査研究を実施した。令和5年度豊橋市大学研究活動費補助金事業として支援をいただき、参加したメンバーは私以外に研究室の教授である渋澤先生と大学院生の森田であった。調査は主に2種類あり、農業が盛んで観光展開されている地域を対象に先行事例調査としてインタビューを実施した。また、豊橋新城スマートインターチェンジが開設されたらどれくらいの人が来るかという需要調査を実施した。皆さんご存知だと思うが、東名高速道路上にスマートインターチェンジが開設されるということで、場所は豊橋市と新城市の境界近辺になる。周辺地域として、今回は豊橋市の北部地域を対象に調査を実施した。この地域にある潜在的な観光資源について少し紹介する。
 馬越長火塚古墳は国史跡として指定されていて、6世紀の東海地域で最大規模の古墳となっている。また北部地域には次郎柿畑が広がっており、生産量や面積が日本一を誇っていて、次郎柿を活かした観光農園などの展開も期待される。他にも賀茂しょうぶ園、賀茂神社、石巻山や石巻神社がある。豊橋市北部地域は、自然豊かで農業が盛んな地域で、歴史文化資源を有し、星空、蛍、湧水、しょうぶ園など四季折々の景観を有しているという特徴を持っている一方、豊橋市中心市街地からのアクセスが不便であり、生活利便性が低いことも指摘された。豊橋市の中心市街地から北部地域へのアクセスは県道が通っているが道幅が狭い。またバスが通っていないため、公共交通機関でのアクセスができない状況である。北部地域にはスーパーがなかったり医療機関が少なかったり生活に不便なところがある。
 先行事例として農業が盛んで観光に展開している地域では、農家民泊や体験プログラムの展開は観光協会や観光DMOという地域の組織が中心的な役割を果たしている。団体・学校・教育委員会などから予約が入った場合は、この組織で受入れの手配などの調整を行っている。その他にも、農村地域の観光の企画や体験プログラムを作り、旅行中にトラブルがあったときの対応や、農家民泊の保険やリスク管理などを含めて全て対応されている。農村地域において農家や住民が自身で観光を展開することは難しく、多くの課題の発生が予想されるため、こうした組織が中心的、先導的な役割を果たしているということが取組の鍵になっている。課題としては現在、この地域の受入れ農家は兼業農家が主であり、専業農家の場合には、農作で忙しくて受入れが難しいことを挙げられていた。また、地域経済の活性化に貢献するため、農業体験だけではなく宿泊してもらう仕組みづくりに取り組んでいる。この地域で体験や農泊を始めてから25年が経過しており、世代交代の時期になっていて、若い担い手の協力が必要となっていることも課題として挙げられていた。
 愛知県の4つの市町村、長野県、茨城県などの地域において、観光農園、キャンプ場、バーベキュー場、農業公園、農業団地、道の駅などの観光施設について現地調査やインタビューを実施した結果をお話しする。訪問した施設を公的資金の有無と開業時期で分類した。公的資金有は第一、第三セクター施設、公的資金無の民間施設を第二セクター施設と分類、それぞれ90年代前開業と90年代以降開業で分けた。従業員が20人未満の施設は、民間施設である第二セクター施設が多い傾向であり、公的資金が入った場合には、20人以上の総合的な施設や農業公園などの施設が多い傾向であった。 
 インタビューした17施設の分類ごとに特徴として、公的資金有の第一、第三セクター施設について、90年代前の施設は、小学校の野外活動や中学校・高校などの合宿で利用するために作られたものが多く、リピーターが多く利用料が低価格である反面、経営として続けていくのが厳しいということであった。90年代以降の施設は、道の駅とよはしや長野県の農業公園が含まれるが、最近作られた施設ではSNSを利用した若者への情報発信、外国人観光客の受入れもあり、英語版のパンフレットやホームページを作ることでインバウンドも含めた広い客層に情報を発信しており、新しい取組を常に行っている。第二セクター施設について90年代前の施設は、観光客のニーズが時代に合わせて変わってきていることに合わせて取組内容を変化させていた。90年代以降の施設は、豊橋市内のバーベキュー施設、長野県の観光農園などがあり、特徴としては、若い女性をターゲットにして集客する施設、会社・団体客をターゲットにしたり、都会の人のリフレッシュの場としてファミリー層をターゲットにするなど具体的なマーケティング戦略を立て取り組んでいる民間施設が多い。施設全体的に大規模施設を除いては、農村地域や過疎地域であるため、人手不足であり若い人の力が必要、後継者がいないといった課題が多くの施設で見られた。
 需要調査として豊橋市北部地域にスマートインターチェンジが開設された場合、観光客がどれくらい来るかどうかというニーズ調査を行った。調査対象としては、新設するスマートインターチェンジから車で約1時間以内の市町村の居住者で、回答数は2000件以上になる。アンケート内容としては、普段の旅行における観光行動の特徴、豊橋市または豊橋北部地域への訪問意向について質問した。地域は東三河地域、西三河地域、名古屋市と名古屋市以外の尾張地域、静岡県西部地域に分けて回収件数を設定し、年代別にも均等割で回収件数を設定して実施した。
 普段の旅行における観光行動の特徴については、普段の旅行における観光資源別の旅行頻度を「旅行しない」「数年に1回」「年に1回」「年に3回」「年に5回以上」の5段階で質問した。旅行頻度が高い観光資源は、自然資源、歴史文化観光、温泉観光、都市観光、行催事・イベントなど、従来の一般的な観光にあたるものであった。旅行頻度が比較的低い観光資源は、農水産物の収穫体験、農林水産業の作業体験、農家民泊、川遊び、登山、スキー場、キャンプ場、バーベキュー場などであった。アウトドア系について普段は旅行しないという回答が多かった。
 次に、豊橋市北部地域に今後訪問するかどうかを聞くために、説明文を加えて回答を求めた。まず過去に訪問経験があるかどうかを尋ねると、行ったことがあるが32%、行ったことがないが66%であった。今後の訪問動向は、行ったことがある人のまた行きたいという回答が14%、ない人の今後行ってみたいという回答が15%で合わせて29%であった。行かないと思う人は16%で、今後行くか分からない人が53%であった。行きたいという人は、過去の訪問経験有無でそれほど差がないが、行かない、行くか分からないという割合は、過去に訪問経験のない人が多い割合を示している。
 続いて、豊橋新城スマートインターチェンジ開設後に、観光施設が作られたらどれくらいの頻度で訪れるかを質問した。これも普段の旅行同様の5段階で聞いており、年に1回以上訪問する割合を観光施設別でまとめた。道の駅が40%、アウトレットモールや郊外ショッピングモールが同じく40%、温浴施設30%、地産レストラン28%となった。比較的に観光ニーズが低かった施設は、バーベキューキャンプ場、馬越長火塚古墳めぐり、市民農園、農家民泊であった。但し全体的な需要としては低いが、普段の旅行の場合と比較してみると需要があるため市場として可能性はあると思っている。また、普段の旅行頻度より豊橋市北部地域の旅行頻度が低い施設があった。温泉観光と温浴施設で言うと、温浴施設の方が概念的に小さいため、普段の旅行での温泉観光の訪問頻度が高いことが想定される結果となった。また、馬越長火塚古墳めぐりも頻度が低くなった。他の歴史文化観光はお城や博物館など範囲が広く種類も多くあるが、古墳めぐりを特化したために需要が少なく出たと思われる。
 最後に、豊橋新城スマートインターチェンジが開設された後のアクセスルートを聞いた。東三河地域の住民は、83%が一般道路を利用してアクセスするという回答であった。西三河地域から他の地域に見ると、距離が遠くなるほどスマートインターチェンジを利用する割合が多くなるが、それでも一般道路を利用するという回答が3割から5割ぐらいあるため、一般道路からのアクセス状況を改善する必要性がある。名古屋市在住者は、普段の旅行で使う交通手段が公共交通という回答が38%であり、バス路線の整備など公共交通機関におけるアクセスの整備も必要になると思われる。
 まとめになるが観光ニーズの視点から見ると、豊橋市北部地域の場合は農業資源、自然資源を活かした観光が普段の旅行より旅行頻度(ニーズ)が高いため展開の可能性があると思っている。一方、先行事例調査で申し上げたように、農業資源を活かした観光を展開する場合には、組織的な取組が必要であり、常に新しいことを取り組んだり、資源をどのように商品化するかを考えないといけないため、そのような人材が必要になる。豊橋市北部地域の観光展開においてはこうした要素を総合的に判断して検討していく必要があると思う。
講演要旨② 
 私がこの業界に関わり始めた十数年前に、絶対上場できないと言われていた業種が3つあった。1つ目が「パチンコホール業界」、次に「エステサロン業界」、3つ目が株式会社ミダックホールディングスの属する「産業廃棄物処理業界」、通称産廃業界である。産廃業界は反社会制度との関わり疑惑等があり、アンダーグラウンドなイメージがつきまとい、社会的な信用度が極めて低い業種であった。また、ごく一部であるが、不法投棄や不適正な産廃処理を行った業者の存在が業界全体の評価を押し下げ、結果として上場が困難な業種と言われていた。こうした中、当社は2017年の名古屋証券取引所市場第二部上場を皮切りに、翌年の2018年は東京証券取引所市場第二部上場、そして2019年に東京証券取引所市場第一部上場、名古屋証券取引所市場第一部上場を達成した。上場後も増収・増益を続けており、2021年11月に時価総額が1500億円まで上昇した。本日は、私が当社に関わり始めてから東京証券取引所市場第一部に上場するまでの軌跡を紹介するが、技術的・専門的な話ではなく、当社、特に私が経験した苦労話などを話そうと思う。
 最初に当社グループの概要を紹介する。私がどのようなきっかけで当社と出会ったかと言うと、当社が上場を目指すことを決意して、税務顧問を地元の税理事務所から監査法人系の税理士法人に変更したことによる。当時の私は税理士法人トーマツにおいてIPO支援を含めた税務顧問の担当者としてミダックグループに関与していた。上場支援のために就任した経理部長があまりにも体制が整備されていなかったことに嫌気がさして急に退職し、2006年急遽経営体制の強化、特に経理機能の強化をするために取締役兼経理統括部長としてヘッドハンティングされ入社した。その後は税務・経理、そして管理部長となってからは総務・人事を含めた管掌役員として従事し2019年4月、代表取締役社長に就任した。2023年1月末時点でプライム市場の上場会社が1836社あるが、その中で女性社長は僅か15人で全体の0.8%である。女性活躍はまだ道のりが遠そうな感じである。当社グループは、静岡県浜松市に本社を構えて創業から72年が経過しており、8社の子会社と1社の関連会社を持ち、当社を含めた10社で構成されている。グループ連結の従業員数は、2024年3月末時点で403名となっている。事業内容は、産業廃棄物・特別管理産業廃棄物の収集運搬・処分、一般廃棄物の収集運搬・処分を行っており、廃棄物を幅広く取り扱っている。
 次に当社が上場に至るまでの体験談について話をする。冒頭でお話ししたように、当社は3年連続でステップアップし、最終的に東京証券取引所市場第一部へ上場しているため一見華々しく感じられるかと思うが、実は上場準備に10年以上の時間を費やしており、取り掛かったのは2004年の秋頃である。当社が上場を目指した一般的な目的は大きく3つ掲げられる。1つ目は信用力の向上、2つ目は資金調達の多様性である。上場すると金融機関から以外に市場からの資金調達が可能になる。2019年12月の東京証券取引所市場第一部上場の際にはエクイティファイナンスにより市場から12億円を調達し、2022年1月には約27億円を調達した。3つ目は優秀な人材の確保である。当社は15年以上前から新卒採用を始めており、以前は地元志向の学生を中心に応募があったが名古屋証券取引所市場第二部上場後は、上場企業を中心に就職活動をしている学生や全国からの応募も目立つようになった。さらに中途採用者についても、キャリアアップを目指す優秀な中途採用者を確保することができている。
 またこれ以外の当社特有の理由として創業家の熱い想いが2つあった。その想いの1つ目が業界の底上げである。一般企業でも難しいと言われている上場という狭き門を、産業廃棄物処理業者が上場することによって内部管理体制の整った企業の存在を広く認識してもらい、同業者もそれに続くことで業界自体の底上げを図りたいという想いである。そのために市場の頂点である東京証券取引所市場第一部、名古屋証券取引所市場第一部上場を目指すことに決めた。当時、同業者で上場している会社は、名古屋の株式会社ダイセキなど僅かであった。その後大きく様変わりし、現在では多くの同業者が上場しており、さらに多くの若い経営者が上場を目指している。2つ目が会社組織の改善である。当社にとって上場は最終目的ではない。上場を錦の御旗として、それを目指す過程で会社組織を整備し、継続して成長していくための人帰属ではない組織経営を実現させたいという熱い想いがあった。しかし、上場と全く縁がなかった地方の一中小企業において、会社組織として上場を成し遂げるための苦渋の決断を迫られた部分が多くあった。
 そのひとつが、売上高に関する問題である。上場するためには、監査法人に適正意見を出してもらわないといけないが、上場手続きに関与する前に問題がないかどうかを調べる予備調査というものがあり、これに通らないと関与していただけない。この時に収益の計上方法について指摘が入り、指摘通りに計上方法を変更すると売上高が大きく下がってしまうという事態に直面した。例えば、1,000万円の売上高があり、その内700万円分の仕事を外部委託した場合、売上高1,000万円、外注費費用700万円として計上していた。ところが監査法人からの指摘は、外注費の700万円を相殺した300万円だけを売上に計上しなさいということであった。今まで1,000万円の売上が300万円になり、売上高が7割減るということである。産廃業者は自社施設による産業廃棄物処理サービスだけを行っているわけではなく、仲介もしているのが一般的である。どの会社もそうした部分を売上高に組み込んで会計処理をしている中で、当社だけが処理方法を変えると、当時当社が浜松市内では最大の産廃業者という地位を自ら手放すことになってしまうため、当初は経営陣の中に強い反対があった。しかし、上場には避けて通れないことから話し合いを重ねた結果、たとえ売上額が小さくなったとしても収益性の高い会社を目指そうと役員が一丸となってこちらの修正を受入れ、前に進むことを誓った。収益性という意味で売上は下がるため、営業利益率で考えれば、今までは30%の営業利益率が100%になる。
 次が不採算部門からの撤退である。実は2007年3月に行った不採算部門であったアグリビジネスからの撤退も苦渋の決断を強いられた。当社の子会社であるサンミダックでは、産業廃棄物である食品残渣物から作った液体肥料を農家に販売し、そこで栽培された無農薬野菜を自社直営の産直施設の「もぎたて市場」で売るというビジネスを手掛けていた。無農薬野菜だけでなく、卵やクッキーなどいろいろな自然食品を扱っていたため、「この店の食品なら食べられる」とアトピーの子どものいる家庭を筆頭に強く支持されていた。社会的には非常に良い事業であったが、実は採算が取れていなかったため、毎年3,000万円程の赤字が続いていた。上場すると、減損会計があって減損しないといけなくなる。上場を達成し、株価が伴うよう右肩上がりの経営計画を整えなければならない場面で不採算事業を続けるのは無謀であった。高い志を持ちSDGsが叫ばれるはるか以前から循環型社会を見据えた取組を行っていたという展望は素晴らしいが、上場を成功するためには撤退を決断した。
 右肩上がりの経営計画を立てるためには起爆剤が必要となる。2006年時点では当時計画を進めていた最終処分場を起爆剤とする方向で考えていた。しかし当時の主幹事証券から、最終処分場を武器に上場することは難しいと言われてしまった。産廃業界では実は三種の神器と呼ばれるものがある。「水処理」「焼却」「埋め立て」この3つが三種の神器である。
 ただ、この神器の1つ「埋め立て」の最終処分場には大きな弱点があり、それはいつか必ず埋まってしまうということである。施設の残余量がなくなり、それ以上の廃棄物を埋められなくなった時点で収益源は立たれてしまうため、「コーイングコンサーン=継続企業の前提」が得られない。作戦変更を余儀なくされた当社は、新しい焼却施設を起爆前にするべく設置許可の取得に向けて動き始めた。
 許可が取れれば上場をすることができるということで、当時豊橋市において焼却施設の新規許可を取得するための準備を進めていた。しかし、この焼却施設の設計図をお願いしていた設計会社がM&Aにより買収され、買収元の企業が焼却事業から撤退を決めた。別の会社にその設計図を渡して施設を造ってもらう方法もあったが、建設費が跳ね上がってしまうことから、許可を取得する前に断念した。そうすると、当社の起爆剤が無くなり上場ができなくなる。困ってどうするか悩んでいたところに思わぬ吉報が届いた。2007年1月に主幹事証券会社が大手証券会社に合併され、担当の主幹事証券会社が変更されたことで、最終処分場を起爆剤にしても良いという方針に変わり、これによって上場が一歩現実に近づいた。そして、再び最終処分場を上場のための起爆剤とすべく準備を進め、いくつもの苦難を乗り越え2017年12月に名古屋証券取引所市場第二部へ上場することができた。私は東京証券取引所でも鐘を2回たたいてきた。そこでは今までの苦労が報われた気がして、とても良い思い出となっている。特に2回目の鐘をたたいた2019年12月には東京証券取引所 市場第一部、名古屋証券取引所市場第一部の会社の社長として創業家の方々の真ん中に立たせていただき非常に嬉しく思った。
 当社が上場することができたのは、組織再編を実践してきたことと収益基盤を確保してきたことが主な要因であるが、その他の要因を紹介する。まず1つ目は長い時間をかけてじっくり社内体制整備に取り組んできたことである。上場の数年前より決算開示資料を毎年作成、更新してきた。申請期においてはスムーズにこれら決算書類を作成することができ、その他の上場準備に多くの時間を費やすことができたため、審査時点での指摘事項を最小限に抑えることができたと思っている。2つ目は、上場を実現するという経営陣の揺るぎない信念があったことである。上場準備が長期化すると、経営陣から諦めるという話も出てくると思うが、誰一人として上場するという目標を諦めず、常に前を向いて義務を執行していた。3つ目は、信じられないことだと思うが、資本と経営を分離させたことである。創業家が資本と経営を分離することを決意し経営から退き、創業家と全く関係のない役員が就任することで、合議による意思決定をもとに会社を経営することができた。その結果、意思決定はより合理的なものとなり、会社の改革を次々と実施することができた。4つ目は外部的要因であるが2007年に同業の株式会社タケエイが東京証券取引所マザーズ市場に上場したことである。上場準備を開始した時点では、果たして産廃業者が本当に上場できるのかという不安があったが、これを機に当社も条件さえ整えば上場できると確信を持つことができ、モチベーションの維持につながった。最後の5つ目は、さまざまなパートナーに恵まれたことである。名古屋証券取引所は当社が上場準備を始めた段階から何度も足を運んでいただき、上場の実現に向けて協議を深めてきた。上場後も充実したサポートをいただいている。また、監査用人トーマツも、当社が上場準備を始めた段階からお付き合いさせていただいている。監査用人トーマツの監査は非常に厳格であり、その監査を通じて内部管理体制も充実した。実は一番厳しいところから上場したかったという想いがあった。主幹事証券会社である岡三証券は産廃業界というだけで難色を示す証券会社も多い中親身になってさまざまなアドバイスをくださり、最後まで尽力いただいた。
 上場準備における相乗効果として、従業員の意識が大きく変わった。自分たちは東京証券取引所市場第一部の上場企業の社員として、大きく変わらなければならないということを強く認識し、ジョブローテーションも厭わずに頑張っていた。当社は、上場準備を始めてから上場するまでに10年以上かかっているが、実はこれは準備が大変だったわけではなく、新規管理型最終処分場の許可取得を上場のタイミングに定めていたからである。東日本大震災が発災し、地元住民の方々に安心いただけるよう、事前の調査・説明に10年以上時間をかけてきた。許可が下りればいつでも上場できるように毎年開示資料を作成し、監査法人の監査、主幹事証券の指導、内部管理体制の整備を続けてきた。3年連続で上場を達成できたのは、この上場準備を10年かけて行ってきた所以の強さだと思っている。
 今お話した上場への道のりについてまとめた書籍を2022年2月に発刊させていただいた。当社が70周年を迎える際に作らせていただいたが、今当社は次の成長に向けて走っている。若い社員は現在の当社しか知らないが、先輩たちがどのように築き上げてきたかを残したいという気持ちで書かせていただいた。最後に、当社はミダックの頭文字である「水・大地・空気を未来につなぐ」として、水と大地と空気そして人、すべてが共に栄えるかけがえのない地球を次の世代に美しく渡すことを経営理念に事業を行っている。そして、この経営理念を実現させるために上場の道程を選択した。ただ当社にとっては上場がゴールではなく、これからが本番である。さらなる業容の拡大とともに、皆様に信頼され広く社会に貢献できる企業となるよう進めていきたいと思っている。