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産学官民交流事業

2024.09.06 第245回東三河午さん交流会

1.日 時

2024年9月6日(金)11:30~13:00

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム

3.講 師

BEST GREEN FARM 千賀 吉晃 氏

  テーマ

『2代目農家の挑戦 ~田原でアボカド栽培を始めたわけ~』

4.参加人数

36名

講演要旨 
 私が農業をやり始めて11年目になるが、家業の菊の栽培は、父や母がやっている姿を見て何となく理解していた。農業は皆さんが想像する通り非常に忙しい仕事であり、実際今日も朝4時前に起きて仕事をしてきた。体力的に問題がない中で何とかやれていると感じているが、自分の子供の世代がこの農業を続けていけるだろうかという疑問を感じていたタイミングでコロナが発生した。菊は葬儀での需要が主であったため、市場が急速に縮小した。
 他品目との競争、原油高や資材の高騰など、経営環境は決して良いとは言えない状況である。また、農業従事者の平均年齢が上がり、このままいくと2050年には農業者が7割減るとも言われている。こうした中で、東三河地域は恵まれている農業産地であるが、農業の後継ぎがいなければ土地やハウスが空いて、ハウスの解体には費用もかかるため相続放棄され放置されている事例も散見される。私は渥美スプレーマム出荷連合というJAの組織に属しているが、今栽培をされている方の中で60代が3~4割前後となっており、10年後70代で何名残っているかを危惧している。東三河の菊の産地としての強みは、年間の出荷契約が締結できているため、安定した収益が見込めている。これを維持していかなければならないことも課題という中で、農業は、作る時代から経営の能力が求められる時代に変わっていると感じ、次の世代にどのような農業を残していくかを考えた場合、農業経営を維持していくためには、収益性も高く、若い世代がやってみたいと思えるワクワクする農業、未来ある農業が必要であると思い取り組んだのがアボガドの栽培である。
 近年、日本人も多く食べるようになってきたアボカドだが、99.9%を輸入に頼っている。主な産地はメキシコやペルーであり、残りの0.01%は、愛媛・和歌山・鹿児島など先進的にアボカド栽培に取り組んでいる地域の国産品である。しかし、愛媛・和歌山・鹿児島では露地(外)の栽培が中心であり、台風や冬の冷害の影響もあり、決して栽培がうまくいっているとは言えない。東三河地域の特色である施設園芸を活かすことができれば、高品質なアボカドが栽培できるのではないか、またアボカドは生産に対して労働力がかからないという特徴があるため、現在の菊の生産と平行して栽培ができるのではないかという可能性を感じていた。また、国産のアボカドの生産量は少ないことから東京などの大都市圏の富裕層をターゲットとした販売を行えば高級果実として販売できるのではないかとも考えた。
 2019年よりハウスの片隅で15品種のアボカドの栽培を試み、2022年に初収穫を迎えることができた。実際に栽培をしてみて、やはり東三河地域において露地栽培は難しく、施設園芸の設備が利用できれば、ハウスである程度の温度管理をして、風害なども防がれてアボカドの栽培をもう少し簡単にできるのではないかと考えてチャレンジを始めている。また、アボガドという植物体の性質について、どのように育っていくかを理解しておけば、そこまで手をかけることなく育てることができる。実際私は菊の出荷量を維持しながらでもアボカドを作れているので、うまくいけば、菊に続いてアボカドという二本目の柱が作れるのではないかと考えて行っており、2022年には初収穫することができた。
 アボガドの市場規模は拡がっており、1988年は3,370トン輸入されていたものが2019年には8万トン近く輸入され30年間でおよそ20倍になった。ブラジルにはアボカドを原料とした化粧品もあり、オイルを絞るためだけのアボカドも栽培されている。インターネットでアボカドというワードがどれだけ検索されているか調べると、キャベツやレタスと同程度であり、寿司やハンバーガーといった商材に使用されたことをきっかけにトレンドが生み出され、メディアで取り上げられ知名度と輸入量が上がっていった。
 現在は100坪のハウスで35本のアボカドを栽培している。アボカドの栽培について調査・研究を行ったところ、アボカドはクスノキ科の植物であり、地植えした場合は10メートル近くの高さに成長することがわかった。アボカドは、根域制限と呼ばれる植物の根の量を制限することで、植物の生長を抑制し樹の高さを抑えるともに、ストレスを与え果実の大きさを大きくする方法が向いていることが判明した。また、アボカドの栽培にはpH5前後の弱酸性の培養土が向いていることがわかり、田原市にある株式会社安田商店と連携し、アボカド栽培に適した培養土の開発を行った。培養土の量については、通常のポット(鉢)では大きくて300リットルである。しかし、もともと10メートル近く成長するアボカドにとって300リットルでは、樹の生長が抑制されすぎとなり収穫できる果実の量が減ることが懸念された。そこで、当圃場では田んぼの畔波板を使用し、ポットのような形の600リットルの培養土を入れた栽培地を整備し、栽培を行っている。これらを作ったことにより、先行事例があるのであればやれるという感覚で土を買われる方も増え、実際アボカドに挑戦される方も何名か増えていった。そこから成功事例や失敗事例が生まれ、何が成功の要因で何が失敗の要因だったかを分析できたので、非常に良かったと思っている。
 当地域のアボカド栽培における優位性は他にもある。温暖な気候であり、施設栽培を利用することができる東三河地域では冬場の加温を必要としないことである。原油高である昨今において、冬場の暖房を使用しないアボカドは栽培にかかる費用を抑えることが可能である。また、温度管理についても高度な施設を擁する東三河地域では、自動制御で温度管理を行うことも可能であり、労働力をかけることなく栽培が可能となる。これは、私自身が菊の栽培をしながら平行してアボカド栽培を行えていることが実証している。潅水についても、菊栽培と比べて多くの水を必要としない。現在は自動潅水設備を設置せずに作業を行っているが、自動潅水設備や液肥の混入設備を整備することで作業にかかる時間を更に減らすことが可能である。農薬の使用についても、多少の害虫の発生は見受けられるが農薬を使用せず栽培できていることから、予防資材の使用で十分栽培が可能であり、近年需要の高まる無農薬の商材として提供が可能である。
 2年前と昨年は、販売にも挑戦をした。一般的にアボカドは食べ頃になると皮が黒くなるというイメージがあると思うが、国産で栽培できるアボカドには食べ頃になっても緑のままと、食べ頃になると皮が黒くなる種類があるため名前を2つ考え、緑のままのものは「ヴィーナス」、黒くなるものは「ブラックヴィーナス」としてロゴも作って販売し完売した。売っていく中でやはり緑のものは食べ頃がわからないため、リーフレットで食べ頃をどう提案するか、デザイン的な部分も含めて関係者の皆さんに相談し販売を行った。ふるさと納税の返礼品についても、株式会社安田商店を経由しながら登録をさせていただき、今期分は完売している状況である。
 アボカド栽培で必ず起こるのが、生理落果と呼ばれる果実の落下である。これはアボカドの樹が多量に着果してしまった果実を自ら落下させ、残った果実を成長させる植物の生理的現象である。この生理落果した果実の油分の測定を行ったところ、着果しているもの同様に油分が含まれることがわかった。生理落果は、6月~9月の間に多く発生し、この時期の果実の油分量は品種によるがおおよそ1~2%である。アボカドの油分は、ヘアオイルやハンドクリームなどに使用されることも多く、この落下果実から油分を抽出することができれば国産のアボカドを使用した化粧品開発にも繋がると考え、奥三河蒸留所に持ち込んだところ、パウダー状にすることができれば油分の抽出が可能であることが判明し、現在はアボカドを乾燥させてパウダー状にしてくれるところを探している。
 少しずつ拡がる栽培ということで、アボガド栽培に同じ菊農家の後輩が2名と1人のバイヤーも加わり、チームとしてアボカドの栽培に取り組んでいる。アボガド栽培を始めたのは5~6年前になるが、始めた2年後ぐらいにはおよそ100名近くの方が関心を持って私の農場の訪れてくださり、栽培方法などの話をした。栽培の技術は少しずつ確立しているが、まだ正直これだという正解が見つかっておらず、私がやっている方法と、後輩たちがやっている方法を少しずつ変えながら、正解を導くために今も挑戦を続けている。
 田原市の情報を発信している「あつまるタウン田原」からお声掛けいただき、副業の人材を活用できないかということで今年4月から大阪在住の30代の男性と女性の方に、アボカドを使って地域を盛り上げることできないか、どのように売り出せば良いかを相談しながら新しいことができないかを模索している。2人には田原にも来ていただいて知り合いの農家などから自分たちの課題感や、今後どうしていきたいかをヒアリングし、この地域を農業というものをどう盛り上げていくのか、どうしたら良いのかという想いも含めてアボカドをどうしていくか、農業の今の課題をどう克服していくか話し合った。こうして9月16日からの予定になるが、副業人材とクラウドファンティングに挑戦することになった。ページを作成し、「CAMPFIRE」に申請をしてほぼスタートの準備ができている。
 農業産出額2位の田原市において、今後先ほど述べたように空きハウスの発生が予想されるため、これを利活用して地域を守っていきたい。両親がいなくなり、妻と2人になった時に現在と同じ作業量はできないため、当然出荷量が減少してしまう。アボカドの収益化ができるのであれば、そこに人を雇って本業の菊も含めてひとつの経営体として会社のような形にして、菊の産業も維持していくようなやり方をしていかなければならないと考えている。アボカドという商材があることによって地域に訪れてくれる方も非常に多いため、アボカドを売りたい人、買いたい人、アボカドがただ好きな人、アボカドはどうやって作るのだろうと思っている人、そんな人達が集まる機会として、2030年に「アボカドサミットin田原」を開催したいと考えている。そのきっかけづくりとして、クラウドファンディングではアボカドのオーナーシップ制度をメインにして、この金額を出してくれたらアボカド1本のオーナーになれることと、Tシャツやステッカーの返礼品といった形で支援をいただいた方にお返しできるような形で今準備をしている。
 もうひとつ私が地域に貢献するという意味で活動していることは、国の方針もあると思うが、学校の部活動がなくなって地域移行していくという流れの中で、田原市には陸上やバトミントンなどのクラブチームといった受け皿はあるが、バスケットボールはなかった。そのためバスケットボールをやりたい子供は、豊橋までいかないといけなくなる状況が予想された。バスケットボールがやりたいと子供が言っているが、やれないという環境において、農業者として地域で働かせてもらっているから恩返ししたいという気持ちもあったので、今年の4月からクラブチームとしてバスケットボールのチームを立ち上げた。当初は30人を目標として募集をスタートしたが、今37人の子供たちを預かって入会待ちもいるような状況になっている。クラブチームにはいろいろな備品も必要であるため、共感してもらった企業に支援をいただきながら進めている。
 スポーツをやっていると必然的に体力も上がっていき、スポーツをやることでコミュニケーションの能力も非常に高まるため、そうした意味でもスポーツをもっとやってほしいという思いが強くなり、田原から出て積極的に豊川・岡崎といった外部のチームとの交流を行い、子供たちが交流から視野や考え方を拡げることをサポートしたい。また、バスケノートという形で子供に目標を設定してもらい、それに対する課題を自分で考えさせ、取り組ませるという仕組みを作っているが、子供たちが成長していくことを実感しており、これは将来彼ら彼女たちが成長した時に非常に効果が出ることだと思っている。小さな成功体験を積み重ねようという話をいつも子供たちに伝えており、今までは学校がやってくれていた内容を地域に移行する意味において、私がそれに貢献できるのは非常にありがたいと感じている。
 東三河の農業は、豊川用水の通水以降、さまざまな新しい取組が行われ、全国有数の農業地帯として発展してきた。施設園芸の発祥の地であり、周年を通した電照菊栽培の発祥の地でもあり、私の父もその先人の一人である。そんな東三河地域でも、農業従事者の高齢化・後継者不足は全国と同じように問題となっており、今後遊休地や耕作放棄地、空きハウスが増加することが懸念されている。アボカドの栽培は、現在の農業経営を行いながらでも平行してできることは、栽培を始め5年経った今実証することができた。まだまだ収益化という面で課題はあるが、収益化することができれば、空きハウスをリノベートし規模拡大を図っていく構想である。この地で、アボカド栽培という新たな取組を成功させることで、地域農業の発展に寄与したいと考える。「アボカドと言えば東三河」と全国的に認識されるようにアボカドの一大産地をこの地域に作っていくことを目指していく。そして、地域に根ざし生業を営んでいるからこそ、地域の未来を考え、好きと得意でまちづくりを行っていきたいと考えている。