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産学官民交流事業

2024.11.19 第481回東三河産学官交流サロン

1.日 時

2024年11月19日(火)18時00分~20時30分

2.場 所

ホテルアークリッシュ豊橋 5F ザ・グレイス

3.講師①

愛知大学 国際中国学研究センター所長、経済学部教授 李 春利 氏

  テーマ

『自動車産業の未来と現代中国 ~電気自動車の行方~』

  講師②

豊橋鉄道株式会社 代表取締役社長 岩ヶ谷 光晴 氏

  テーマ

『つなぐ豊鉄 はじまる未来 ~地域とともに~』

参加者

82名(オンライン参加14名含む)

 講演要旨① 
 1997年から愛知大学豊橋校舎で教鞭をとっており、豊橋市に住んでいた。2012年に経済学部が名古屋の笹島キャンパスに移転し、名古屋に引っ越した。豊橋校舎は四季折々にいろいろな表情を見せることもあり、大学らしい校舎でとても好きである。豊橋に来る前は東京に住んでいたが、豊橋に来て初めてフォルクスワーゲンジャパンの本社があることや、トヨタの田原工場、スズキ湖西工場など自動車関連の産業が盛んなことに驚いた。そして国際自動車コンプレックス協会立上げの場にも立ち会わせていただいた。私は中国に住んでいた時愛知大学の中日大辞典で日本語を覚えた。また日本語を教わった恩師の一人は東亜同文書院大学の卒業生であり、日本に来る前から私の中で愛知大学は大きな存在であった。
 ここからが本題であるが中国の自動車販売台数は、2022年の2,702万台から2023年には3,009万台と伸び初めて3,000万台を突破した。同年の世界全体の自動車販売台数は9,272万台であり、世界の新車全体の約3台に1台が中国市場で販売されている。その中の電気自動車、プラグインハイブリッド車、燃料電池車を合わせた新エネルギー自動車(NEV)販売台数が949万台で、中国市場の3台に1台となっている。2024年も11月時点で前年の通年実績を上回ることが確実視されており、着実な伸びを見せて1,000万台を突破すると予想され、コロナ禍を経て自動車産業はダイナミックに変化をしているのである。自動車の輸出台数についても、これまでは日本が世界一であったが、2023年中国が日本の442万台を抜き世界トップの491万台となった。その中でも新エネルギー自動車の輸出が前年比77%増と急速に伸びている。仕向地別ではロシア、スペイン向けが伸びており、新エネルギー自動車に関しては、電気自動車を中心に、ベルギー、タイ、イギリスが伸びている。タイはこれまで日本の自動車メーカーが高いシェアを維持していたが、現在中国の民族系の自動車メーカーが多くの組み立て工場を立ち上げている。また、欧州市場への輸出については、2022年9月に中国と欧州を結ぶ国際定期貨物列車「中欧班列」による輸送が開始された。
 世界の主要国におけるEV販売の推移は、2018年と2022年を比較してみると中国市場が21.7%増と高い伸び率を示しており、それに欧州市場が14.0%増と続いている。北米の伸び率は5.9%と低く、日本は2.5%と更に低い。また、中国は米国を抜いて世界最大の石油エネルギー消費国になっており、この約半分は自動車のエンジンで消費されている。エネルギーセキュリティの側面や大気汚染問題など中国政府は現状に危機感を持っており、脱石油を推進している。
 昨年中国で販売された新エネルギー自動車の製造メーカートップ10に日本の会社は入っていない。2位にテスラ、9位のフォルクスワーゲンを除いて残りはすべて中国の民族系メーカーである。また、売れているモデルトップ10に関しても、3位のテスラモデルY以外は、すべて中国民族系のモデルになり、その中でもBYDが6車種ランクインしており圧倒的な強さを見せている。エンジン車を含めてもこれまでトップであった上海汽車を抜いて、今年はBYDがトップになると予想されている。電動化競争をばねに、中国民族系自動車メーカーが量・質ともに急躍進を遂げている。2020年以降、中国では市場全体が再び拡大期に入り、乗用車市場では中国民族系のシェアが2023年に初めて50%を超えて、これまで20年間にわたり続いた民族系・外資系による棲み分け構造が崩れ、EV転換をきっかけとする全面戦争に突入した。2024年7月、中国市場において初めて新エネルギー自動車の販売シェアが内燃機関車を超える51.1%となった。従来外資合弁主体の幼稚産業保護的生産統制(指定生産+参入排除)が形骸化し、民族系が自国の産業自立化の担い手として、着実に成長出来る新産業創出支援(市場競争促進)体制へと変化している。
 中国の自動車販売において、激しい値下げ競争が起きている。テスラが2023年1月~6月の間に通算5回の値下げを敢行し、最大差額が48,000元(約93万円)で率にして13.4%に上った。それに40社以上が追従し市場全体を席巻したものの、熾烈な値引き競争がかえって買い控えを引き起こし、連鎖反応で下位メーカーの投げ売りとなり、下位淘汰戦に発展した。この範囲、値引き率および影響の程度は、2008年のリーマンショック時の大バーゲンをはるかに超えたが、2023年7月主要16社が共同で「汽車産業の公正な競争市場秩序の維持に関する誓約書」に署名し、一旦沈静化した。しかし、これが日本の自動車メーカーの販売台数に大きな影響を及ぼした。日本の自動車メーカーはこれまで完備されたディラ―システム、統一された販売価格、モデルラインアップの充実、中古車の高残価率、最新モデルのプレミアム価格販売などを背景としてブランド力を活かしたプレミアム戦略をとってきたが、それが通用しなくなって苦戦を強いられており、急激な中国市場の変化に対応出来ていない。雪崩を打つような値引き合戦の常態化で、日系自動車メーカーが長年かけて構築してきたブランディング戦略および価格戦略が体系的に崩壊している可能性がある。こうして中国市場はEV転換の勝ち組であるテスラとBYDが、生産規模の拡張と高稼働率の維持を背景に価格競争を牽引しており、他社がそれについていけず苦しんでいるような状況である。
 電動化競争におけるBYDのブレークスルーを紹介する。これまでの自動車業界ではOEMとバッテリーメーカーが分業体制となっており、Cell設計と Chassis設計が部分最適に留まっていた。BYDの製品設計は、バッテリーメーカーとして培った技術を活かし、電子機器の設計から製造まで垂直統合された体制で、Cell設計とBody設計およびパッケージング技術設計の全体最適を実現してボディとバッテリーの一体化を進めており、電池システムの空間利用率とボディ剛性の向上を両立している。また、BYD以外でも、通信で圧倒的な強さを誇るHuawei、電池メーカーのCATL、自動車メーカーの長安汽車が手を組んでHuawei Carを開発して発売している。未来の自動車は5Gのインフラを基本にして「C=Connected、接続性、 コネクテッドカー」「A=Autonomous、自動運転」「S=Shared&Service、シェアリング&サービス」「E=Electric、電動化(パワートレイン)」の頭文字をとったCASEが進んでいくと言われている。中国ではこの中のCとAを統合する方向で「スマートカー」という新しいコンセプトが生まれており、自動運転車+コネクテッドカーとして独自の進化を遂げている。
 次に車載電池の世界トップ10を見てみると、6社が中国メーカー、3社が韓国メーカー、日本は1社である。また充電スポットの数についても、2020年度末時点の日本では約29,000基となっており、中国は2022年末時点で約227万基と日本の約100倍になっている。電気自動車の保有台数も同様に日本の約12万台に対し中国は1,310万台と約100倍であり、この差は拡大し続けている。中国の新エネルギー自動車市場においては、2023年の新エネルギー自動車比率が33%となっており、既にイノベーター理論のアーリーマジョリティの段階に入っていて、電動化という前半戦を終えて知能化・スマート化という後半戦に入っている。こうして自動車の未来は「デジタル化とEV化の融合が大きな潮流」となり、中国は新世代AI技術とEV化の融合によるデジタル化社会の実現で世界をリードしている。今後もデジタル化(スマート化・知能化)とグリーン化(EV化)がひとつの大きな潮流となっていく。また、アフターコロナの世界において、自動車産業の未来に対する不透明性と不確実性が深まっており、日本企業と産業界はどのようにこれらの不確実性に向き合っていくのかを問われている。こうした中、世界最大の自動車市場とEV市場である中国市場における消費者の性向は、常に生産者と供給者の企業戦略と技術戦略を左右することになる。
 これからの自動車は「電気自動車にスマホが載っている」といった形になっていくと思う。電動化は当たり前で、競争の焦点は動力ではない。「自動車を制御するソフトウェアのアップデート(更新)によって製造・販売されたあとも継続的に進化する自動車」といったソフトウェア定義型自動車になる。そこでは新しい価値(顧客体験)を創造するインフォーテインメントが商品力の主軸になる。

講演要旨② 
 豊橋鉄道グループは令和6年3月17日に創立100周年を迎えた。地域と時代の変化とともに歩んできたこれまでの歴史と、近年の取組などを紹介しながら、新たな100年に向けて目指す企業像などの話をする。明治21年に、東海道線の豊橋駅が開設されたことを契機として、駅前を中心とした放射状のまちが形成されていった。前身である「豊橋電気軌道株式会社」は大正13年3月に創立され、今に至る100年の歴史がスタートした。昭和29年には、渥美線を譲り受け現在の「豊橋鉄道株式会社」に社名をあらため、その頃から日本は大きく変貌し、人やモノの移動はますます活発となり、飛躍的に成長をしていった。数ある史実のなかで特に印象に残っているのは、終戦の昭和20年の豊橋空襲のエピソードである。電柱や線路が破壊され、路面電車全線の運転が不能となったが、3ケ月後には再び走り始めたと記録されている。「市内電車が動いている」という事実は、市民の心を支えるとともに生きる力となったようで当時を知る貴重なエピソードとして語り継がれている。地域の移動手段として時代に合わせ「まちづくり」に関わってきた。渥美線では、昭和40年に急行列車を走らせ、昭和60年には現在の原型となる15分ヘッドを新豊橋ー大清水間で実現した。路線バスは東三河のみならず名古屋方面にまで拡がり、レジャーなどの地域のニーズに対応して観光バス路線を拡大し、三河湾周遊観光バスや、豊川稲荷ー伊良湖岬間の直通バス、奥三河へは茶臼山や津具のスケート場へ特急バスの運行も行った。振り返ると、激動の時代、地域の変化や経済の発展に合わせスタイル・サービスを変えてきたが、事業や路線を拡大させた時代も長くは続かなかった。
 昭和40年代の高度成長により人々の暮らしや生活が豊かになり、自家用車が普及すると同時に都市の郊外化がはじまり、公共交通の輸送人員は減少していった。当社乗合バスの年間の輸送人員は、昭和40年の年間約2,700万人をピークに昭和57年には約1,400万人へと半減した。奥三河地域においても、昭和57年は東栄や豊根方面まで運行をしていたが、その後モータリゼーションの進展による利用者減少で路線の廃止や公営バスに置き換わりが進み、平成5年には設楽町に僅かに路線が残るのみとなった。輸送人員も平成5年には1,000万人を切り900万人弱と最盛期の3分の1に減少し、直近の令和4年は遂に500万を割り込み約480万人まで減少してしまった。このように公共交通網、特にバス路線網は昭和中期までの拡大基調から転換し、縮小均衡が今も続いている。モータリゼーションの進展は都市のスプロール化、郊外への大型店舗進出、中心市街地の衰退へと進む「負のスパイラル」を形成し地域課題として顕在化しているが、自動車はすでに生活の必需品となっているため、この問題は非常に根深い。
 誰もが気軽に移動が可能な地域であるためにはどのように対応すれば良いのか、ヒントとなるまちが2つあるので紹介する。ポイントは地域課題の共有から、将来に向けてまちの地理や歴史背景などをきちんと考慮し、まちづくりを行っているかである。まずは、今年の5月の「タウンミーティング」で基調講演をいただいた森雅志氏が市長を務めた富山市である。富山市の人口は約41万人と豊橋市に近い。美しい立山と、新鮮な魚介がおいしいこのまちで市長になった森前市長は、将来の人口減少を非常に大きな地域課題ととらえた。人口が右肩下がりにもかかわらず拡散型のまちづくりを続ければ、将来の市民の負担は重くなるばかりか税収も減り、そうなると行政サービスの水準を下げるか、負担を上げるしかないため、そんなまちに人は住みたくないので人口はさらに減るであろうと考えた。こうしたことから富山市は、人口減少をマイルドにする都市構造とするため2002年に基本ビジョン「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」を打ち出した。その手法は、無理やり中心市街地に人を誘導するのではなく、まちへのアクセスを向上させ、中心市街地へ出やすくすることで高齢化が進むこの地域でもマイカーに頼らないまちづくりを目指した。廃止の危機にあったJR線を第三セクター方式でおしゃれなデザインのLRTに変貌させ、新幹線の開通後にこれまであった路面電車と南北で結び、環状化してまちの回遊性を高めた。加えて「おいしい」「たのしい」「おしゃれ」という3つのキーワードでまちを彩り、花束をもって路面電車に乗ると運賃が無料になる、カップルで路面電車でプラネタリウムに行くと割引があるといった市の魅力を高めるキャンペーンを展開し、話題を集めるといった地域への愛着と誇りを高める施策を進めた。工場を誘致しても社員が単身赴任で来るようではまちが発展しない、家族で来てもらえるまちにしたい。そんな森前市長の思いが徐々に浸透し、富山に転勤してきた社員が、今度は県外に転勤しても家族は富山に住み続けるというケースが増え始めたとのことである。富山県の人口減少の速度は全国平均より早いが、富山市は県外からの転入超過が続いており、人口減少に歯止めがかかり地価も上昇していると聞いている。まちづくりへの投資が中心市街地活性化や市民の満足度に繋がり、税収増となって帰ってくる良い循環が起きている。
 もうひとつの事例は宇都宮市である。宇都宮市の人口は約51万人で豊橋市より人口規模は大きい。まるでヨーロッパの都市のようなデザインの車両のLRT・路面電車「宇都宮ライトレール」は、昨年8月に開業した。日本国内で新たな路面電車の開業は75年ぶりで話題を集めた。総延長約15キロメートルで19の停留所が設けられている。宇都宮市のある栃木県の自家用車保有率は全国2位で豊橋市同様自動車への依存度の高い地域である。近郊に工業団地を控え、通勤時の渋滞は相当厳しいものがあったようだ。宇都宮市の将来を考えたときに、少子高齢化に人口減少が加わる厳しい社会を生き抜くためには車が運転できなくても多くの市民が市内を移動でき、元気に生活していくためのネットワークを作ることが必要であると考え、その重要な装置としてLRTを導入した。富山市と同じように「おしゃれ」に整備された交通網で目的地や移動そのものを「たのしく」過ごしてもらう。外出の機会を創出することで地域経済の活性化にも繋げると考えた。ネットワーク型のコンパクトシティーを目指し、将来の財政負担を考えながらもシビックプライドを向上させるための工夫を、ここにも見ることができる。その結果宇都宮市のLRTは計画以上の利用が報告されている。沿線地価並びに人口の上昇と民間投資が活発になり、首都圏の住みたいまちランキングに登場するなど順調に効果が現れ始め、現在東口への延伸の計画が進んでいる。
 振り返ってみて、東三河・豊橋市はどうであろうか。この2つのまちと豊橋市を比べ共通点があることに気付いた。地域課題として人口減少にともなう将来の課題は共通しており、目指す方向性として「公共交通を活かしたまちづくり」「コンパクトなまちづくり」がある。実は豊橋市も「未来につなぐ 住みよく活力のあるまち豊橋」すなわち持続可能な都市づくりをかかげ「集約型都市構造」コンパクトシティーの実現をうたっている。そして何よりの共通点は、新幹線のような幹線軸が通り地域交通のハブ機能を有していることである。こう考えると、豊橋市にも富山市・宇都宮市と同様のまちづくりができるポテンシャルがあると思う。この地域は日本の中央に位置し、海・山も近く気候も温暖であり「暮らしやすい」地域である。これを背景に日本有数の農業生産額を誇ることや、三河港を中心に自動車関連産業が多く配置するなど、産業においてもバランスが取れた豊かな地域である。また、東三河の中心地・豊橋市、かつての吉田のまちには東海道が通り、新幹線ひかりの停車駅としてこの地域の交通の要衝としての機能を維持している。住みやすさランキングにもしばしば豊橋市が登場しており、豊橋技術科学大学・愛知大学・豊橋創造大学など大学・研究機関を有し、産学官連携も活発に行われる地域でもあることから、私は令和のまちづくりを実現させるだけのポテンシャルを有する地域であると実感している。なかでも豊橋市の駅前、「豊橋のまちなか」は、「東三河地域の玄関口」として東三河地域全体の経済を索引していく役割があると考える。「豊橋まちなかみらい会議」の将来のビジョンに出てくるイメージ図は、グリーンが基調となり非常に高いデザイン性で未来の駅前大通がイメージされている。魅力あるまちに人が集まり、移動が生まれ、人の移動を増やし、まちが活性化する。産学官連携で豊橋の未来を考える場では、こうしたすばらしいイメージが共有され実現に向けた取り組みが徐々に進みつつあることから、東三河・豊橋市は富山市、宇都宮市と同じくらいポテンシャルを持っていると確信している。繰り返しになるが、豊橋市は新幹線、JR線、名鉄線、そして当社電車・バスの結節点であり、交通機関が豊橋のまちなかを中心に放射線状に伸びている点は最大限に活用すべきであると思う。東三河地域全体75万人の魅力ある都市機能を実現させるポテンシャルを秘めていると考えている。
 私たち豊橋鉄道グループも公共交通事業者として「安全・安心・安定輸送」は当然ながら、それにプラスし「新たな付加価値」を提供する必要があると考えている。ここで豊橋鉄道グループの取り組みを3つ紹介する。最初は「東三河MaaS いこまい」の取り組みである。公共交通の利用にあたり、大きな障害であるバラバラで使いにくい交通手段を、あたかもひとつのサービスのように使いやすくする手段として東三河の「広域」で取り組むことを目指している。現在愛知県事業の1つに採択され実証実験がはじまっていて、「東三河はひとつ」のもと8市町村すべてに参画いただき来年度以降の実装を目指している。今年度は第1段階として東三河の鉄道・バス・タクシー・コミュニティーバスなどの移動情報を取りまとめ、「観光」と「生活」を紐づけ東三河の公共交通で移動する方へ検索機能を含む情報発信を進めている。来年度以降は観光や飲食などの目的情報と東三河の公共交通の位置情報の充実を図り、さらには広域乗車券の設定も目指したいと思うので引き続きご注目いただきたい。
 続いて、来年の3月には豊鉄バスにICカード「manaca」を導入する。渥美線・市内線、そして名鉄・JR同様豊鉄バスまでも1枚のICカードで乗降できるようになることは地域価値の向上に繋がると考える。また昨今のデジタル化の進展によりキャッスレス化の波は、地域経済にも少なからず波及効果が期待でき、移動に関する膨大なデジタルデータは今後のまちづくりに積極的に活用できる資産となると考えている。
 3つ目は将来に目を向けた取り組みである。冒頭でバス路線など公共交通網は縮小均衡の状況にあると申し上げたが、このまま縮小傾向が続けば 「移動サービスの維持・確保」が難しくなる。これまで積み上げたデータに加え、今後加わるバス乗降に関するビックデータをもとに「これからのまちづくりに必要な移動手段はどうあるべきか」といった課題に産学官連携で取り組んでいる。具体的には豊橋技術科学大学とともに大学のもつ将来の人口動向や人流、移動や道路などの情報に豊鉄バスの乗降調査データを紐づけ、この地域おける公共交通、バス路線網のあるべき姿をシミュレーションしながら今後の路線再編の可能性を探っている。その結果や考察を地域と共有し、交通は道具であって、その先に繋げていくことが重要であることを提案しながら、将来の理想的なまちづくりを考える場へ活かしていきたいと考えている。これらの活動すべてのベースとなるのが「安全」に関する心構えである。言うまでもなく交通事業者として速度や快適性、運賃水準などのサービス以前に安全性の確保が必要不可欠である。安全輸送は事業継続の基盤であり、引き続き地域の皆様に「安全・安心・安定輸送」の提供に努めていく。
 100周年を迎えるにあたり私たちはあらためて「地域の皆様に提供できる価値」について考えた。地域の移動に貢献しつつ、「守り」「磨き」抜いた普遍的な輸送サービス。求められるニーズや技術を取り入れ新たな付加価値を提供する姿勢、それは安心・安全を守りつつ地域に根差したサービスの提供を意味する。そこから見えてくる私たちの価値・役割とは何か。地域によって置かれた状況やニーズが異なっており、豊橋鉄道グループはそれぞれの地域に合った公共交通のあり方をオーダーメイドの形で提供することが役割と考えている。100周年を迎え、これからも地域の皆様への感謝の気持ちを大切にしながら、この考えを持ち続け歩みを進めていきたい。豊橋鉄道グループは東三河・豊橋市が魅力的で人が集う活力あるまちであって欲しいと考えている。そのレシピはパズルのピースが集まるようなイメージであり、地域の総力で産学官が連携しピースを埋められないかと考えていて、皆様がそれぞれの強みを持ったピースを持ち寄り、初めて完成すると思っている。豊橋鉄道グループは、これまで公共交通事業者として「乗る楽しさ」を提供してきた。この先重要なことは「乗る楽しさ」に加えて、まちづくりに即した「目的地の提供」もあわせて考える必要がある。「乗る楽しさ」とは移動手段を充実させ魅力あるものとすること、「目的地の提供」とはお出かけしたくなる仕組み、また移動することで楽しみが生まれる仕組み、こうしたものを提供できる公共交通事業者にならなければならない。乗る楽しさと目的地の提供を複合することに力を注ぎ、お出かけしたくなるまち、ワクワクするまち、そのような魅力あるまちづくりに貢献できれば良いと考えている。まちづくりにおける公共交通事業者というひとつのピースとして大切な役割を担い、地域と人、生活、文化、賑わいを繋ぐ役割を果たしていきたい。101年目以降も明るい未来への想いを抱きながら公共交通事業を続けていきたいと考えている。