2022.07.01 第223回東三河午さん交流会
1.日 時
2022年7月1日(金)11:30~13:00
2.場 所
ホテルアークリッシュ豊橋 4階 ザ・テラスルーム
3.講 師
豊根村地域おこし協力隊 濵田 英一 氏
テーマ
『私達は普段何を食べているのか?肉牛を通して共有したい「いただきます」の意味』
4.参加者
33名
講演要旨
私たちは普段何を食べているのか。当たり前のように使っている「いただきます」ということばの意味を深く理解している人は少ないのではないか。畜産の仕事を始めて、「食べる」とは、「いただきます」とは何だろうと考えながら働いてきた。私たちが生きていく上で欠かせない「食べる」ということの本質と、それを地域のためにどうやって掛け合わせていくのが良いのか、北海道での経験や豊根村に来て気付いたことなど、そしてこれからのことについてお話しさせていただく。
私は、東京都出身で現在44歳。最初は、マスコミ関係(テレビ撮影・映像制作)に就職したが、毎日悪戦苦闘し、不安と緊張の連続で自信をなくし、2003年8月、25歳で退職した。趣味の旅行で、民宿の楽しさを知り、「民宿をやる」という目標を持つことになり、2年間、遊びではなく働きながら「自分がどこに住みたいか?」を考える旅に出た。四国、北海道、沖縄を訪れ、最終的に北海道に完全移住を果たした。最初は短期アルバイトなどをしながら各地を転々としていたが、標津町の「知床興農ファーム」に入社することになった。これが、牛とのかかわりのスタートである。
「知床興農ファーム」は、牛舎のホルスタインを1000頭、放牧のアンガスを80頭、豚を1200頭飼っており、さらに、牛肉、豚肉を加工販売する6次産業化を実現した大規模な農場であった。入ったとたんに肉牛部門の責任者となり、入社2日目で様子がおかしい牛を死なせることになった。「死なせたくない」という思いで毎日頑張ったが、技術・経験不足から、病気やけがで倒れる牛が続出し、精神的、肉体的にかなり辛い状況となった。テレビの仕事と同じ状況であったが、2つの違いは目の前にあるのは撮影機材ではなく、牛の「命」であったということ。これは、待ったなしの状況で、悩む余裕などなかった。
当時の同僚から、「家畜は商業動物。屠畜や死ぬことにいちいち反応していたら仕事にならない。」と言われた。これは、畜産の一般的なイメージを表しているが、「それは違う。仕事にならないから反応しないのではなく、反応するからこそ大切に育てなければならない」というのが私の答えである。純粋に、「牛の命」と「自分の情」に向き合ったからこそ、このように感じられたのかもしれない。「想い」や「情」がなければ、家畜を育てる資格はないと思っている。しかし、時間が経つにつれ、そのような状況に平気になっていく自分に危機感を持ったことも正直あった。先代社長から、「牛が屠殺される瞬間、感謝されるくらい、大事に育てなさい。」と言われ、この言葉を支えに、肉牛、精肉加工部、ハム・ソーセージ加工部と約13年間、畜産の世界にどっぷりつかることとなった。
2021年4月、交際相手が名古屋市にいたこともあり、豊根村地域おこし協力隊に着任した。アンガス牛を1頭買ってもっていくことを決めていたため、「愛知県内で放牧ができる涼しいところ」が条件であった。ネットで検索したところ「豊根村の茶臼山の牧場」がヒットし、役場に問い合わせした。見学の際、村が所有する山と畑、空の家という改装済みの古民家を紹介され、牛の放牧と昔からの目標であった民宿経営が両立できると思い、豊根村を希望した。
地域おこし協力隊としての目的は、山林や耕作放棄地を使ってアンガス牛を放牧し、そこで作った牛肉を食材として提供する民宿をつくることである。具体的には豊根村で生まれた子牛が育つ様子を現地やインターネットで伝え、それを見た人たちにその牛肉を食べてもらい、「いただきます」という意味をみんなで共有する民宿をつくることである。アンガス牛は、スコットランド原産のアバーディン州とアンガス州の在来種で、肉牛の世界三大品種の一つ。世界で一番飼われていて、一番食べられている牛肉であるが、日本では肉用牛の1%以下で稀少である。
2~3ヶ月は放牧地探し。村の人への相談やグーグルマップで調査して現地確認することなどを繰り返した。第1候補地は、空き家が管理されている家だったので、「これは地域おこしではない。」とお断りした。地域おこし協力隊として、「出来る限り、今あるもの(未利用のもの)を使う。」ことをテーマにやっていきたいと考えている。第2候補の20~30年耕作放棄地となっていた1ha程度の棚田を選んだ。この土地を利用するにあたり、住民説明会を開催したが、ある住民から「協力隊なんて、好きなことをやって3年たったらどうせほったらかしにして出ていくのだろ。その後始末はどうするのだ。その牛の面倒は誰がみるのだ?」とかなり厳しい言葉を投げかけられたが、その場はしっかり説明し、了承を得て、無事に土地を借りることができた。
「地域おこし」とは何か?地域活性化は自治体が望んでいることであって、地元住民すべてが望んでいることではないのではないか、また過疎化は自治体にとっては問題であるが、地元住民にとってはそんなに問題ではないのではないか。自治体の想い=住民の想いではないということ。これが私の率直な感想である。このことを役場の人に話した時、「確かにその通り。住民にとっては、人口の増減は関係ない。変化をおこしたくない人が少なからずいる。」と言われた。地域おこし協力隊として、「牛を飼う」ことをどのように掛け合わせていくのが良いのか?どうなったら地域と自分が「win win」の関係になれるのか?そこを見つけて実行していくことが課題だと感じた。
約2ヶ月かけて放牧場を作ることができ、2021年9月、北海道の「知床興農ファーム」にアンガス牛を引き取りに行った。豊根村から北海道まで、往復6日間かけて無事に帰ってくることが出来た。道中では、家族連れや多くの方々から声を掛けられ、人を惹きつけるという牛の魅力の再発見をすることができた。このような動物であるが、世界中で毎日、人々の食料になっている。この現実をどう伝えていくかということを考えるようになった。「肉食反対」ということが一部に上がっているが、食べたい人は食べ、食べたくない人は食べなければ良いというのが自分の考えである。動物を殺して食べるのは、人間の欲望のかたまりだと言う人がいるが、無欲の人間なんていない。これからも人間は肉を食べ続けていく。肉を食べたい人に「食べる」という意味を共有したいと考えている。
2021年9月に放牧を開始。元気な姿を毎日確認することを続けている。1頭の面倒をみることは簡単だと思っていたが、従業員として1000頭の牛を見ることと、1頭の牛を見ることは全く別物で、命の重さが違うと感じた。1頭の命の重みを常に感じて、「初心忘るべからず」ということを肝に銘じて牛を育てていきたい。そしてこの気持ちを保てる限界が、牛を飼える最大頭数だと思っている。
放牧を始めてから、いろいろな方に見学に来ていただいている。これからの課題である「地域おこし協力隊」と「牛を飼う」ということをどうやって掛け合わせるかというヒントとなる出来事があった。見学に来てくれた年配の方から、「昔は豊根村では各家庭で1頭ずつ牛を飼っていた。懐かしいね。」という言葉をいただいた。もしかしたら、過去に戻すことも地域活性化の一つになるのではないかと思った。牛という存在は、若い人には新鮮で、年配の人には懐かしい動物である。新鮮さと懐かしさを両立できる動物であり、今後いかに発信し、多くの村民にどう伝えるか。今後の豊根村の地域活性化に繋げるヒントがここにあるような気がする。
2021年12月、妊娠鑑定をした上でアンガス牛を連れてきて、年末年始に生まれそうだと聞いていた。12月5日に出産のサインがあったが、介助はせず、母牛の本能を最大限に活かすため、自然分娩とした。12月6日、母牛に産後の跡があったが、結果死産と分かり、全身の力が抜けた。獣医診断の結果、おなかの中で既に死んでいたとのことであった。今回は死産という厳しい結果であったが、母牛が死ぬこともある。この日は、改めて命の重さを感じた日となった。死産を近所の人たちが気にしてくれたことは少し驚いたが、牛には人を惹きつける力があると再確認できたと同時に、こういう気持ちを持ってくれている方に牛肉を食べていただきたいと感じた。現在、母牛は元気であり、牛の補充で早く群れをつくり、安心して暮らせる放牧場にしていきたいと考えている。
肉牛を通して伝えたいことは、牛は決して食べられるために生きているのではない。自分たちが生き残るため、子孫を残すために生まれた時から一生懸命生きている。美味しい牛肉になろうと生きている牛は一頭もいない。人間は、知恵と技術を使って自然界から捕って食べる。私たちは自然界の命に生かされているということになる。この状況を理解し、改めて「いただきます」の意味を考えることが大切である。これは牛に限らず、鳥、魚、野菜など、すべての食べ物に当てはまる。それぞれひとつの命であったということに代わりはない。命をいただく以上、牛の生理にあったストレスのない飼い方をしたいというのが放牧する理由である。のびのびと放牧することによって、牛肉が生産され、耕作放棄地が整備され、野菜が収穫できるようになり、糞尿は発酵堆肥として畑に還元され、整備した畑が広がってきたとき、新規就農者を呼び込める可能性が出てくる。牛がいるだけで、これだけ地域おこしに貢献できる。地域おこし協力隊としての私の役目は、肉の大量生産ではなく、牛が本来持っている動物としての能力や可能性、人を惹きつける魅力、食料としての役割を伝えた上で、牛肉を提供することである。そして、そのひとつの命の価値を最大限引き上げた上で、それを食べてくれた人たちと「いただきます」の意味をみんなで語り合える民宿をつくりたいと考えている。
最近の世界の状況を見ていると、いつ食料危機が起きるか分からなくなってきていると感じている。食料自給率の低い日本にとっては大問題である。私ひとりでは、大量の牛肉を供給できないし、政治も動かせない。私ができることは、牛のポテンシャルを引き上げ、それを提供することである。そうすることで、大切に命を育て、大切に料理し、大切に食べる、人間に差し出してくれた命に「いただきます」と感謝、それがすべての食べ物の価値を上げることに繋がるものと考えている。そしてその気持ちをみんなで共有することで、フードロスの解消や食の安全などのいろいろな問題に、ほんの少しでも貢献できると思っている。まだまだ2年目で発展途上だが、これからもっと具体化し、食べて・感じて・考える場所を創りたいと思っている。今後もパートナーであるアンガス牛の「竹ちゃん」と一緒に頑張っていこうと思う。