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会員サービス事業

2024.07.23 2023年度東三河地域問題セミナー 第3回公開講座

1.開催日時

2024年7月23日(火)14時00分~16時30分

2.開催場所

豊橋商工会議所 4階 406会議室

3.テーマ

「震災におけるライフライン被害・復旧と備えておくべきこと」

4.講 師

岐阜大学 工学部 社会基盤工学科 教授 能島 暢呂 氏

5.参加者

48名

講演要旨 
 私は地震ハザード解析、地震リスク評価、ライフラインの防災を専門にして教育研究に携わっている。また、地域の防災を考えるために「清流の国ぎふ 防災・減災センター」において、地域の皆さんと一緒に防災力・減災力を上げていくためのさまざまな活動をしている。前半のパートでは、能登半島地震について、現地に調査に入り感じたことや、公表されているデータから読み取れることを中心に話を進めていく。後半は、東三河地域において防災を考えるためのヒントになるであろうことを、能登半島地震の事例や、それ以前の災害の経験を踏まえて話をする。
 2024年の元日に発生した能登半島地震は、気象庁からマグニチュードが7.6と発表された。内陸の地震でこれまでの最大規模の地震は、岐阜県・愛知県に大きな被害をもたらした濃尾地震であり、マグニチュードは8.0と言われている。ただし、モーメントマグニチュード(Mw)の単位で比較すると能登半島地震は7.5となり、濃尾地震の7.4より大きいということで、非常に大きな断層がずれて強い揺れを起こし、その半分が海域にあったことから発生した津波によって大きな被害がもたらされた。最大震度は7であり、7月上旬の時点で死者は281名、住家被害は12万7千棟になった。防災科研の解析によると珠洲市の付近が震源になっており、それが東にずれて断層破壊が進んだ13秒ほど後に、西側の佐渡島に向かっても断層の破壊が進んでいき、事実上2つの地震が一体となった地震で、7.3と7.3で合わせて7.6という見立てがされている。断層は150キロほどの長さの非常に大きなものであり、揺れの特徴にも現れている。
 この地域では10数年の間に多くの地震が発生していた。1993年に能登半島沖の地震という珠洲市付近で起きた地震があったが、その後2007年の能登半島地震は輪島市の門前の近くで発生した。その後2021年、2022年、2023年の5月5日にかなり大きなものが発生し、この後どうなるかを地震学者が注目していた矢先に起きた地震である。この背景には活断層や、活断層に近い地中の断層がずれたことで上にある地層がたわむ撓曲などが非常に多く認められたが、実はこうした断層運動で出来上がったのが能登半島の地形である。断層がたくさんあるということは判っていたため、産業技術総合研究所が活断層調査を行い、東日本大震災の後、津波はどういう状況になるのかということを予測するために国土交通省が中心となり断層のモデル化を行った。そのモデルに従って、石川県では津波の浸水想定が行われており、この情報が県民に対して公表されていた。こうした想定がされて、実際にその情報を知っている人たちが事前の避難を行ったということで、マスコミが強く危険性を伝えたという側面もあるが、現時点で確認された津波による死者は2名で、建物の被害による死者と比較すると少なかった。
 私たちのグループは、1月14日から15日の間に現地調査にいった。石川県は状況が悪かったので、富山県の高岡市を拠点にして初日に輪島市、翌日に穴水市・七尾市・氷見市を調査してきた。初日に輪島へ向かうときは非常に交通事情が悪く、国道249号線を通っていったが、片側交互通行や全面通行止めのために迂回道路を通るとその道路も穴だらけで先頭車両が土砂を積んで埋めながら進み、後続車が続くといった状況であった。こうして初日は高岡市から輪島市に到着するまで5時間ほどかかった。移動にとても時間が取られて、現地の作業時間が短かったということが復旧の遅れの原因のひとつとも言われている。地殻変動による隆起も生じ、かつては海であったところがむき出しになった海岸線が拡がっているところも多く見た。能登半島の北側は非常に交通の途絶が多く孤立集約も発生し、先へ進むことを断念した。奥能登2市2町へのアクセスルートとして、1月3日の時点で通れた道路をITS JapanがGPSのカーナビの情報を基にデータを収集し、実際に通れたところを公表しているが、奥能登では全く交通実績がない部分が多くある。こうした状況で孤立集落が多く発生し、24地区で3,345人が孤立状態になり、解消には2月13日まで1ヶ月半ほどかかった。
 能登半島には能越自動車道という緊急輸送路にも指定されている高規格道路があったが、ここが使えなくなったのが大きな問題であった。揺れが大きかった北側は新しい規格で作られていたため被害は小さかったが、完成から時間が経過している南側の区間の被害が大きく、大動脈が使えなくなったことが災害の復旧遅延の要因になった。通信に関しても移動基地局を現地に派遣したり、停電で止まっている基地局に非常用電源で電気供給をしたり、道路のアクセスが悪いので船上基地局を沖合に設置し、それで基地の機能を果たしたという事例もあった。
 家屋の被害は、本当に足がすくむような大きな被害であった。多いのは1階部分が押しつぶされ2階が着地しているもので層崩壊と言われる人の命を奪う危険性の高い壊れ方が多く見られた。日本建築学会北陸支部と金沢大学などのチームがどれぐらいの被害が出ているか全数調査を行ったが、1981年の新耐震基準以前の建物については、全体の約半数が全壊もしくは半壊であった。1981年から2000年の建物については、約3割が全壊もしくは半壊となっており、2000年以降の新しい耐震の建物は全壊もしくは半壊は1割に過ぎなかった。耐震基準による被害の違いは、熊本地震同様はっきり表れており、家屋の被害がひどかったのは、奥能登では古い家が多く、旧耐震と見られる建物の割合が4割近かったとのことである。また揺れの性質も最悪に近いような強い揺れかつ周期帯が非常に建物に対して被害を及ぼしやすい揺れであった。加えて今回の断層は長さが150キロほどあり、揺れが50秒ほど長く続いた。この揺れの継続時間の長さも、被害の大きさに直結している。こうした家屋の被害、津波警報、余震が非常に多かったこと、停電・断水が長期化したこともあり多くの住民が避難生活を強いられた。避難者の数は、1.5次避難+2次避難ということで、ライフラインが直らない間は一旦遠くに避難してくださいと呼びかけられ、最大で3万5千人の避難者が発生、その解消に非常に長い時間がかかっている。市町別で人口の何パーセントが避難したかを数値で見ると50%~60%といった割合であり、熊本地震のおよそ40%と比べても地域へのインパクトは最大級だったことがわかる。
 能登半島地震を他の地震と比べてどのようなことが言えるのかを調査した。対象は兵庫県南部地震・東日本大震災・熊本地震・大阪府北部の地震・北海道胆振東部地震、そして能登半島地震である。震度分布に人口分布を重ね合わせ、震度いくつにどれぐらいの人々が晒されたかを震度曝露人口という指標で比較した。震度7は兵庫県南部地震が最も多く、6強以上も同様に兵庫県南部地震が多いが、東日本大震災と熊本地震が結構な数となっている。6弱以上となると東日本大震災が上回るが、能登半島地震は曝露規模そのものは他の地震と比べるとかなり小さいことが考察された。
 ライフラインについて電気・水道・都市ガスがどれぐらいの棟数止まったかを比較すると、停電が断水・都市ガス供給停止よりも圧倒的に多い。また震度6弱以上の曝露規模とライフライン停止規模が相似形になっている。能登半島地震では都市ガスのエリアはなく、停電や断水の停止規模はこれまでの震災と比べると小さかったが復旧は非常に遅かった。3ヶ月経過してもまだ水道は復旧しておらず、5ヶ月半かかった。電気について奥能登は特別高圧275キロボルトと500キロボルトがなく、いわゆるローカル系統しかない場所であった。電力グリッドが網目状にループしているところは、停電が起きにくいと思われるが、この地域は特別高圧がないローカル系統のみであり、ローカル系統と配電設備等の被害が非常にひどく、もし高圧が伸びていたらもう少し状況は違っていたと思う。普通は断水の戸数を停電の戸数が上回るが、断水の戸数よりもかなり少なかったものの深刻な被害箇所が多く復旧に時間がかかったと言える。復旧状況をグラフで表すと通常電気は短期間に80%程度まで復旧するが、そういう初期の系統復旧の様子が全く見られないということで、初めから被害がひどいところの復旧をせざるを得なかったことが考えられる。停電を解消するまで2ヶ月半かかっており、珠洲市・輪島市・能登町・穴水町の奥能登2市2町の復旧が遅れていた。停電の原因に関しては、北陸電力送配電のホームページを参照すると、発電所の被害は七尾大田火力の1号機・2号機が被害を受け、1号機は7月2日、2号機はそれ以前の5月10日に運転を再開したが、直接の停電の原因ではなかった。配電設備が家屋・道路・斜面の崩壊に伴って被害を受けたのが停電の原因であり、これを一つひとつ直していかないといけないため復旧のペースも遅かった。経済産業省の委員会で出された資料によると、配電支持物の被害は能登半島地震で3,100本となっており、熊本地震の3,200本と大体同じくらいである。しかし配電柱1本あたりの停電戸数は能登半島では13戸、熊本では150戸、東日本大震災の130戸から280戸と比較しても圧倒的に少ない。配電柱を1本直して何戸停電が解消するかの桁が違っており、能登半島地震は停電解消1戸当たりにかかる復旧作業が他地域と比べて非常に多かった。また、穴水町の商店街は2007年地震の復興事業として2021年までに510mの無電柱化を行ったが、こちらも周囲の建物がことごとく被害を受けて壊滅状態になってしまった。能登半島は都市ガスのエリア外であったためガスの停止はなかったが、都市ガスの場合は第1次緊急停止判断ということで、強い揺れを感知すると自動的にエリア毎にガス止める仕組みになっている。基本は60カイン以上で止まるが、K-NET,KiK-netによる石川県内の観測SI値を用いて計算してみると、この能登半島の中北部は60カインを超えたところが多く、もし都市ガスエリアであったとすれば全面的に止まったことが予想され、復旧作業がさらに大変なことになっていたと思われる。
 次は水道である。石川県に関する国土交通省が出している情報を参照すると、被害の根本的な原因は、水道システムの中で上位にあたる部分の被害であり、取水施設の停止、導水管破損、浄水場の場内配管の破損等により機能停止となった施設が多数発生した。珠洲市立宝立浄水場においては、2系列のうち非耐震であった1系列が機能停止となり、可搬式浄水装置を設置し応急復旧を行った。また配水管も非常に大きな被害を受けた。耐震化されていない管が多いこと、土砂の流出に耐えられず管が流されてしまったことが多発した。例えば輪島市内ではNS形ダクタイル鋳鉄管という耐震継手管が損傷したが、当該箇所は大規模な斜面崩落部であった。これまで被害がほとんど見られなかった耐震継手管が土砂崩落で1カ所損傷を受けたことに関係者はショックを受けている。能登半島では加賀地方から七尾市までは水源があまりなく、1カ所の水源である鶴木浄水場の水を広域に送水していた。石川県水道用水供給事業というシステムであり9市4町へ188キロの送水管が通っていたが、そこに生じた被害が、断水が停電戸数を上回った原因である。加賀地方は1月4日には中能登まで復旧したが、その先に時間がかかり、七尾市に到達するまでに1カ月を要した。このように石川県水道用水供給事業の送水管に被害が多発した。復旧ペースも極めて遅く、5日後以降の断水解消は1日あたり数百戸であった。奥能登の市町では上位施設(浄水場、排水池)や末端網に被害が多発し、断水の解消には5カ月の時間がかかった。また主要地震における水道管路施設の被害として1キロメートルあたりの被害箇所を比較すると兵庫県南部地震は1.6ぐらいで非常に高い数字と言われており、これを超える値はその後の震災では生じていなかったが、今回珠洲市は2を超える状況で大変な被害だった。1人あたりの配水に必要な管路の長さは全国平均5.7メートル、東京都は2.0メートルであるのに対して輪島市は19.4メートル、珠洲市で23.4メートルであった。1人あたりの管路の長さが長く、管の材質や継ぎ手の質の悪さ、口径が小さいものほど被害を受けやすいといった統計をもとにした脆弱性指数を比較すると、全国平均は1.5、東京は0.48で強い管が多い。輪島市は2.81、珠洲市は2.25といった数字になり、全国の2倍ほどの弱さで受ける被害が2倍と考えられる。1人あたり何メートル必要かと、1本あたりどれだけ被害を受けるかを相乗効果として掛け算をして比較をする。全国を1とすると、東京はその10分の1ぐらいであるが、輪島市は6.3、珠洲市は6.08となる。復旧の作業量として直すべき管が格段に多かったことが、長期化した断水の理由のひとつと考えている。
 上下水道に関しては、災害対策に関連する動きが活発になっている。水道整備・管理行政が今年4月に厚生労働省から国土交通省に移管された。これまでは上水道が厚生労働省、下水道が国土交通省の管理ということで上下水道に一体的な運用は難しかったが、今後インフラシステムとして一体的な運用ができていくとともに、災害対策としての対応にも大きく影響するため、4月の移管前の1月の時点から一体的な運用を目指した協力体制が行われていた。岸田首相が7月に愛知県・岐阜県を視察に廻り、視察後にインタビューを受けて「能登半島地震での大規模・長期断水は老朽化や耐震化の遅れが原因であり、水道管耐震化状況の緊急点検を今年の10月までに完了し改善していくための耐震化計画を今年度中にまとめるようネジを巻く」というコメントをされていた。また「漏水の発見にとても時間がかかるが、最近は衛星画像を処理して漏水を発見するものが豊田市で導入されていると思うが、こうしたデジタル技術の導入を推進していき、5年程度で全国の標準装備にしたい」とも述べられていた。
 最後に「石川県創造的復興プラン」はインフラそのもののあり方、少子高齢化の時代の復興を考えていくときの日本のモデルになるのではないかと期待をしている。例えば上下水道の関係を考慮して下水道の処理場がここは不要とか、耐震化を推進するにしてもバラバラに施工するのではなく一体化して施工するというように、これまで無駄と思われていたところが一体的運用の中で解消し進むことが期待される。災害対応の面でも上下水道が一体となった早期復旧ということで、七尾市では、下水道と上水道を優先順位というのを考えながら、上水道が復旧してすぐに水を使えるように下水道の復旧をエリアの中で合わせて進めていくオペレーションが、実際に能登半島地震で一体的な運用として行われた。耐震化を進めることについては、ダクタイル鋳鉄管におけるGX形耐震継手が安価で施工もしやすいということで普及が進んできている。また、ポリエチレン管を積極的に導入して管路被害の防止・軽減対策も今後進んでいくと思われる。実際に被害のあった従来の配管に並行して埋設されていたGX管は被害を受けなかった事例が多く認められ、今回耐震管の有効性が改めて確認された。
 「石川県創造的復興プラン」は5月に原案が出されて6月に成立した。その中で注目される点として、創造的復興リーディングプロジェクトに位置付けられている取組の新たな視線に立ったインフラの強靭化ということで、壊れたインフラの原形復旧に捉われることなく、強くしなやかで使いやすく、サステナブルで新たな価値を創造するインフラの実現を目指し、復旧・復興に取り組むとされている。もうひとつ自立・分散型エネルギーの活用などグリーンイノベーションの推進ということで、従前の「線でつながるインフラ」に加え、自立・分散型の「点でまかなうインフラ」も選択肢のひとつとするなど、能登におけるグリーンイノベーションに向けた先進的な取組を進めるとしている。具体的に言うと、エネルギー系では太陽光発電と蓄電池を組み合わせて自立分散型のエネルギーにする。上水道と下水道を合わせた小規模分散型の水循環システムということで、ライフラインネットワークにつながらず機能を果たして大規模な被害は受けないようにする、小規模に被害を受けたとしても点で直していくということを実現する集落のことをここではオフグリッド集落という人口の減少している地域での復興の目指すべき姿としてプランが出されていて、これは参考になると思っている。日本の人口構成も高齢化率が2020年の段階が29%であり、石川県全体でも同じぐらいであるが、奥能登の各市町は50%に近い状況であり、それは日本の将来の姿を暗示していて、教訓を引き出さなければならないと思っている。
 次に東三河地域における地震対策のためにということで、想定される状況や備えておくべきことの話をする。まずわが国周辺の地震発生域は、内陸活断層の地震と、海溝型の地震の2つに分かれる。内陸の活断層の地震も多くあるが、活断層は滅多に地震を引き起こさず、千年・万年に1回という長いスパンでそれぞれの活断層が活動している。しかし日本の中には活断層が約2千本と多く存在し、どれかが地震を引き起こすという意味では、かなりの頻度で地震を引き起こしていて、今回能登半島地震が加わった状況である。東海地方の活断層をクローズアップしてみると、東三河にはプロットがあまりないが、深溝断層が1945年の三河地震を引き起こした。この地震は1943年に鳥取地震が起き、翌44年に東南海地震、その次の45年に三河地震、それから46年に南海地震ということで、1000人を超える死者を出した地震が4年続いた中のひとつである。終戦直前の混乱期で、あまり情報が明らかにされていないが、こうしたものが周囲にたくさんありどれが地震を引き起こすかわからないのである。
 新潟・神戸ひずみ集中帯は名古屋大学の鷺谷先生が提唱されている概念であり、新潟から神戸にかけてひずみがたまりやすい、地震を引き起こしやすい地域になっているとのことである。地殻変動を測るためのGPSのステーションがあり、そのステーションがどれだけずれているかを観測していて、実際その数値も大きい。新潟・神戸ひずみ集中地帯においては、2000年以降も多くの地震が実際発生している。
 対する海溝型地震は、南海トラフ巨大地震がターゲットとして挙げられている。東海地震・東南海地震・南海地震、いわゆる南海トラフを震源とする地震の発生履歴を500年間遡ってみると500年間で5回、約100年に1回の周期で発生している。昭和の東南海地震・南海地震が直近の地震であるが、そこから80年近く経過しており、これが今世紀前半に東南海地震・南海地震が発生すると言われている根拠である。地震が発生させた断層のずれ・破壊が生じた地域は5回ともバラバラである。
 慶長地震は東南海・南海地震の連動地震であり、宝永地震は東海・東南海・南海の3連動地震で最悪の地震と言われており、マグニチュード8.6の巨大地震であった。安政の東海・南海地震はこの東海・東南海の領域が壊れた32時間後、南海地震が発生した。昭和の東南海・南海地震は東南海地震が発生した2年後に南海地震が発生したように、タイミングもバラバラである。将来何が起きるかわからないので、とりあえず一番大きなものに備えるとして宝永地震がしばらく想定地震になっていたが、マグニチュード9の東日本大震災が発生したため、日向灘地震も巻き込んだ4連動で考えると、山梨県から宮崎県、あるいは鹿児島県まで広範囲で想定される巨大地震となり、マグニチュードは9となる。震度6強以上の地域も多く、相当の被害が生じる領域が広がってしまうため周辺の地域に支援の手が回ってこないということになる。東三河地方は震度7を含み6強以上がほとんどであり、相当の強震に晒される。最悪のパターンでは日本全体で32万人の死者、238万棟の家屋が全壊もしくは焼失というとてつもない想定がされている。対策をしないとこうなるが、耐震化を進めれば揺れによる建物の被害は40%減少可能であり、早期退避により津波の死者も80%減少可能とされている。実際、内閣府からこの想定が発表されてから10年以上経っていて想定が見直され、この数字よりは減ってはいるが半減までまだ至っていない状況である。震度6弱以上の震度曝露人口を、南海トラフの先程の想定にあてはめてみると2,000万人以上で東日本大震災の4倍である。同様に震度6強の震度曝露人口は同じく6倍の1,000万人程度ということで、スケールが全く違う。能登半島地震では震度曝露人口が少ないのにあれだけの被害があったが、これだけ領域が広がると能登半島のような悪条件のところも多く含まれていて、それが同時に被災してしまう大変危惧される状況である。愛知県の想定は繰り返し発生している地震災害のうち、過去に発生したことが明らかな明応・慶長・宝永・安政・昭和の東海・東南海・南海の地震の揺れの被害を全部合わせて、液状化の分布や津波の浸水域など1番高い数値を抽出し、これを最悪の地震と捉えて被害の取りまとめがなされている。その被害統計で想定される被害は愛知県内だけで全壊・焼失棟数が94,000棟、死者数が6,400人。インフラの復旧期間は上水道6週間程度、下水道3週間程度、電力1週間程度、通信1週間程度である。
 南海トラフでは個別に異変が起きることもあるため、南海トラフ地震臨時情報が出される形になっている。「半割れケース」「一部割れケース」「ゆっくりすべりケース」など南海トラフ沿いで異常な現象が観測された場合、気象庁が南海トラフ地震臨時情報を発表し、国・地方公共団体・指定公共機関・住民等が後発地震に備えた防災対策を実施するものである。例えば片側で地震が発生した場合に、起きていないところはどうするかが問題になるが、そういった場所での行動指針を定めていて、明らかにリスクが高い事項についてはそれを回避する防災対応を取り、社会全体としては地震に備えつつ通常の社会活動をできるだけ維持していくことを目指している。基本的に1週間がめどになっているがこの警戒情報は解除されないため、情報を受け取った人の判断に任せるという形であることを知っておいていただきたい。
 地震に関する最も確たる情報は緊急地震速報である。実際に地震が起きたことを早期に捉えて、強い揺れが来るまでに情報を発信するものであるが、間に合う場合と間に合わない場合がある。間に合うのは海溝型地震の場合であり、震源が海域にあるため2011年の東北地方太平洋沖地震の場合も陸地では全部間に合っていて、仙台市では揺れの大体10秒から15秒ぐらい前に速報が出されて子どもたちが実際に机の下に隠れるといった安全行動をとって成功したと報告されている。間に合わないのは直下型の地震である。残念ながら、震源が近くて強い揺れがすぐに来るため間に合わないのである。いろいろな状況の中で、警報が鳴ったときに冷静に行動できるかどうかはその人がどれだけ事前にイマジネーションを持っているかによる部分が大きいため、普段から建物の耐震補強や家具固定など措置をしておくとともに、地震が発生したことを想定してイメージトレーニングをしていただきたいと思う。皆さんは社会的に責任のある立場の方が多いと思うが、自身が被災し怪我などすると、災害時に対応するべきその責務も担えなくなり二重の損失が生じるため、まずは自分の命を守ることを実践していただきたい。そのためには弱点を知ることが非常に重要であり、家庭内DIG(災害図上訓練)は鉛筆と定規があればすぐにできるので、ぜひご家族と実践をしていただきたいと思う。
 事業所あるいは役所等での防災対策は、事前の防災計画、事後の事態に備えるためのBCP事業継続計画、それをマネジメントサイクルにしたBCMがとても重要になってくる。通常の業務を一旦停止して重要な業務に徹し、徐々に通常業務に戻していくことがBCPの特徴で、優先して継続・復旧すべき中核事業を特定することは重要である。中核事業の目標復旧時間を定めて、目標通りに復旧できるように対策レベルを上げていき、どうしても手が届かないところは代替策を用意しておくといったことが求められる。BCPを実行し、目標復旧時間を乗り切ったところは顧客も逃げずに事態の前の水準に戻す、あるいはそれ以上に事業を発展させることが可能になるが、目標復旧時間を達成できなければ事業縮小や最悪撤退に至ってしまう。個社のBCPだけではなくて企業を点として捉えれば、広域で連携した地域広域連携のBCP、同業者同士の助け合いなどさまざまな階層構造で個社BCPから広域全国連携に結びつけていただければと思う。
 次にライフラインの復旧について述べる。そもそもライフラインがどの程度の震度で止まるかであるが、停電は一番起きやすく復旧も早い。次に水道でガスが最も止まりにくく、止めるところを限定するような仕組みになっている。強い揺れになるとライフラインはほぼ止まり、建物に被害がなくてもライフラインが止まっていて生活できないため、避難所に行かなければならないというケースはよくあり、事業所においてもオフィスの建物は無事だがそこで仕事ができないことが十分に想定される。復旧所要日数は目安にしかならないが、中小企業庁がかつて出したものが今でもよく使われている。6弱・6強と強くなるにしたがって長い復旧時間がかかるが、能登半島地震の事例から広域巨大災害になったときの復旧のペースは進まない可能性が高い。
 想定地震発生時の電力需給バランス評価で言うと、南海トラフ巨大地震が発生すると電力が西日本で3,000万キロワットぐらい不足する。東日本は周波数50ヘルツ、西日本は60ヘルツと違うことによって日本全体での十分な電力融通はできない。周波数の変換が必要であり、その設備能力がかつては120万キロワットしかなかったが、増強されて今は210万キロワット、将来的には300万キロワットとなる予定であるが、それでも不足する電力と比べると10分の1に過ぎない。また最後の手段として高圧発電機車による応急送電も行われるが、2019年時点の全国でその台数は419台に過ぎず南海トラフ大地震では絶対的に足りないと懸念される。能登半島地震では34台、全体の8%しか稼働しておらず、運用には人員、重機、交通アクセス、燃料などが必要となること、また配電線がつながってないと送れないため、配電設備の被害が大きすぎて高圧発電機車の運用が十分できない状況であった。
 次にガスであるが、東邦ガスの例では、エリアが102の供給ブロックに分割されて260基の地震計が設置されており、強い揺れを感知するとガバナ(整圧器)や供給ブロック境界の緊急遮断バルブでガスの供給を停止し、それ以外のところは供給を継続するというシステムになっている。復旧は組織的な復旧体制が整っており、日本ガス協会が組織をあげて全国の事業者に応援人員の依頼をし、ホテルや資機材の確保などを並行して行ってきた。また、病院など重要な施設には移動式ガス発生装置を設置して供給するようになっている。これが南海トラフ大地震で機能するかと言うと、被害が広範囲で大きいため応援人員も設備も絶対的に足りなくなるため、長期的なガス停止に備えるのが重要だと思う。
 続いて水道の話をする。水道の施設は老朽化が進んでおり、維持管理をしっかりしていかないと日常的にも事故が発生してしまう状況で、揺れが来ると弱点が一挙に露呈してしまう。また、災害時の応急給水体制として給水車があるが、こちらは2021年度全国で1,330台となっており、日本水道協会の試算によると南海トラフ巨大地震で断水しているところに給水車で水供給を賄おうとすると4,000台必要とのことで、全く足りないという状況になるため、長期的な断水に備えて一人ひとりが十分な備蓄をする必要がある。皆が備えれば、応急給水の作業量が減り、本当に必要な人たちにそれを送り届けることができる。
 災害時現地の人に何が困ったかを聞いてみると、トイレという回答が最も多いため、家庭・事業所レベルで携帯トイレ・簡易トイレの準備を進めていただきたい。他にも交通の話として、鉄道の運行停止による帰宅困難者の発生がある。駅に集まった群衆の滞留が人々の混乱、二次災害の危険、応急対応の妨げを招くこともあり、むやみに移動を開始しないで職場で一晩やり過ごすといったことが大事である。
 地震防災の話をするときには、水害の話もセットですることが多いが、対比させると台風や集中豪雨は進行型災害と言われて、徐々に危機が迫ってきて、本番が来て、過ぎ去っていくという時系列が明らかである。そこまでの時間をリードタイムと言うが、これを積極的に使って、マイタイムラインという言われ方をするがどのように備えるか、事前に正しい行動を即座に行うための準備ができ、しっかり準備をすれば、相当の被害を減らすことができる。一方、地震は基本的に突然発生するためリードタイムがない。地震予知は理論的に難しく、特に直前予報はかなり難しい。長期的にその兆候があったとしても予知は困難である。能登半島において、ここ数年の地震活動から元旦の能登半島地震が予知できたかというと、全くできていない。わずかな猶予時間があるとしたら、緊急地震速報の数秒といった世界であり、直下型地震では間に合わない。いきなり来ることを前提に考えなければならないため、時間軸を逆転させて、1日後明日だったらどうするか、できることは限られるが、今すぐできることをやっておけば良いと思う。このように皆さんには進行型災害と突発型の災害の両方に備えていただきたいと思う。
 内閣府の「一日前プロジェクト」では、地震や災害の被害に遭われた方に「災害の一日前に戻れるとしたら、あなたは何をしますか」と質問し、その回答をまとめている。実際の被災者の声から学べることは多いと思うので、ぜひ見ていただきたい。
 ライフラインの話を中心にしたが、防災・減災のあるべき姿として、自助は共助を支え、共助は公助を支える。公助は日常に自助・共助を支える。公助は地震発生時最後の砦になる。一人ひとりが防災・減災の担い手として、なるべく公助の世話にならないで済むように最低3日間、できれば1週間の孤立やライフライン途絶に備えていただきたい。
 「自分の命は自分で守る みんなの地域はみんなで守る」いつも地域の皆さんに呼びかけるこの言葉で本日の話を終わらせていただく。

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